「新司法試験廃止論by戸塚悦耦龍谷大LS教授」雑感

ボツネタ

http://d.hatena.ne.jp/okaguchik/20060118/p16

で紹介されていますが、オリジナルの法律新聞の記事が手元にないので、上記エントリーを読んだ感想と言うことで、若干。
司法研修所の重要性については、以前、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20041030#1099125263

で述べた通りであり、廃止してしまった後の、法曹の質の著しい低下(迷惑するのは国民でしょう)、日弁連、裁判所及び検察庁がそれぞれ資格認定を行うことの非効率、認定されなかった人の問題(身の振り方はどうするんでしょうか?)などを考えると、上記のエントリーで紹介されているプランには賛成できないですね。
「優秀な人が、お金を費やし3年間勉強して合格できなかった場合の社会的損失」と言っても、我々が受験していた頃(合格者は500名弱)に較べ、数倍に及ぶ合格者(3000名)が出る時代に、そこにすら入れない人の「優秀さ」とは一体何だろう?と疑問に思うのは、おそらく、私だけではないでしょう。人生には、リスクがつきものであり、合格できないリスク(合格しても実務家としてやって行けないリスクもあります)があるのは、むしろ当然であって、一生懸命勉強した人が可哀想なのでリスクをなくしてあげましょう、といった議論は、単なる甘え以外の何者でもない、と言われても仕方がないと思います。
厳しい言い方になってしまいますが、法曹を志しても、適性、能力等により、勉強途中で転身したり、司法試験に合格できない人が出るのはやむをえないことであって、むしろ、そういった人々がうまく他の道へ進める方策こそが検討されるべきではないかと思います。
法曹を志した人々が、皆、法曹になれるようにすべきだ、といった議論をいくら繰り返しても、国民の納得どころか、法科大学院生の共感も得られないでしょう。
「なりたい人は皆、法曹になった上で自由競争に委ねればよい」という議論は、一見、妥当なように思えますが、不適格者が大量に存在した状態で激越な自由競争が行われることになれば(それも、大量の不適格者が不断に流入してくる状態で)、不適格者が淘汰される過程において、国民に重大、甚大な被害が生じることは目に見えており、上記のような自由競争論を主張する人々は、重大、甚大な被害をどう救済するかについて具体策を併せて提示すべきでしょう。