私が司法試験を受験していた頃

既に、本ブログや講演などで話したことと重複しますが、最近、「司法試験を受験すること」についての議論も盛んで、自分自身の受験当時のことを思い出すこともあるので、整理もかねてちょっと書いておきます。
私は、昭和58年に早稲田大学法学部に入学した当初から、司法試験は受験したいと考えていて、入学後すぐに、法学部内にあった法律サークルの中でも最大の規模であった緑法会というサークルに入りました。1、2年生の頃は、その緑法会と、当時はまだあって(もう、なくなりましたが)早稲田大学出身者の司法試験合格者増加に大きく貢献していたと言われている法職課程教室を中心に勉強していました。3年生以降は、予備校をよく利用するようになり、4年生の10月に最終合格しましたから、ゼロからスタートして3年半で最終合格したことになります。
勉強する中で、徐々に、刑事法に特に興味を感じてきましたが、合格までは、特に何に(裁判官、検察官、弁護士のどれに)なりたい、ということは具体的に考えていなくて、そもそも、当時の司法試験は2万3000人から2万4000人くらいが受験して最終合格者が500名に届かない(私が合格した際は480数名くらいだったと記憶しています)という状態で、合格した自分の姿自体をイメージすることが難しい、というのが正直なところでした。夜、寝ようとするとき、寝ていてふと目が覚めて、朝起きて、といった際に、この試験を受けていて自分はどうなるのだろうかと考えると答えが出ず重苦しい気分になっていたことが今でも思い出されます。誤解を恐れずに言えば、1000万円くらい借金して、あの出口の見えないトンネルの中にいるような気分が解消できるのであれば、迷わず借金したでしょう(貸してくれるかとか、そういう問題はともかく)。
お金ではどうすることもできない、10年、20年と司法試験を受験し続けている人が山のようにいる、そういう試験を、大学3年、4年程度で受験している重圧感にはかなりのものがありました。
幸い、運良く、大学4年生で最終合格できましたが、その時点で合格できるとはまったく考えておらず、留年して2留くらいまでは頑張って、そこまででどこまで到達できているかにより、その後を考えようというのが当時の計画のようなもので、民間企業への就職よりも、公務員とかそういった方面への転身になるのかな、と漠然と考えていたような気がします。
当時はそれだけ合格者の数が少なく、合格後の進路は具体的に考えていないものの、生活できない、食えないということはないだろうということも漠然と感じてはいて、そういう心配をせずに済んだのは、今思うと幸福な時代だったと言えるかもしれませんが、何と言っても合格者があまりにも少なすぎて、今の司法試験と当時の司法試験の、どちらを選択して受験するかと言われれば、私は、迷わず今の司法試験のほうを選択するでしょう。とにかく、精神的な重圧がひどく、勉強しないと合格できないという強迫観念もひどくて、特に合格前の1年くらいは、身を削るようにして無茶苦茶に勉強していて、多分、自律神経失調症とか心身症とか、そういう感じだったのではないかと思いますが、ふらふらして起きられなかったりめまいがして倒れそうになったり、ぎりぎりのところまで来ていた感じがありました。
最終合格発表も、口述試験で失敗したので落ちていると思っていて見に行っていなくて、受験新報のテレホンサービスで聞いてみたら合格していた、という、もう最後はぼろぼろの状態で、合格後、その年の末くらいまでは、何かの間違いで、これはすべて夢なのではないかという意識にとらわれていたことが思い出されます。
こういう状態での大学生活でしたから、楽しい思い出は何もなく、合格の見込みもない司法試験を展望もなく受験している田舎者、という周囲の痛い視線が強く印象に残っていて、合格して、周囲が急に手のひらを返したようにちやほやしはじめて、人はまったく信用できない、という印象がその当時から強烈に植え付けられて、それは今に足るまで尾を引いているような気がします。
戦争には辛くも勝ったものの国土は焦土と化し国民の多くが死んだ国のようなもので、得たものは確かに大きかったが失ったものも大きかった、というのが私の司法試験受験だった、そう思います。運良く合格できたから良いようなものの、私と似たような受験生活を送っていて、合格できなかった人は山のようにいて(今ならその多くは合格できていたと思いますが)、そういう時代を知っている身からは、合格できた後に、借金が多い、仕事がないと言っている人の姿を見ると、複雑な気分になります。
当時の司法試験には何の思い入れもなく、二度と受験したいとも思いませんが、1つだけ、良かったことを挙げるとすれば、あまりにも過酷で精神的に思い切り鍛えられたことくらいでしょうか。
元々、全国的には中位程度の田舎高校出身で、そこでも特に成績が良かったわけでもなく、頭の中身は並み程度で、それが日本で最高に難しいとされていた当時の司法試験を目指したこと自体に無理があり、無理に無理を重ねた上での合格だった、ということになると思います。
これが、私自身の司法試験受験当時の様子でした。