思い出
平成7年8月に入って、何とか1週間程度の夏休みが取れる状態になり、やっと身体も休めて、また東京地検へ復帰したところ、命じられたのは、坂本弁護士一家殺害事件の捜査の応援であった。今でこそ、人々の記憶の中で薄れつつあるが、この事件は、平成元年1…
東京地検公安部としてオウム真理教関係で手掛けた事件の中で、最も多くの人が動いたのは、武器等製造法違反事件で、平成7年7月に関係者を一斉逮捕して捜査にあたった。事件は、オウム真理教が、教団をあげて、ロシアのAK74という自動小銃(有名なAK47の後…
オウム真理教の中に、諜報省(国家の機関を真似た組織になっていた)という機関があり、既に死刑が執行された幹部信者が大臣を務めていたが、私が所属していた公安部では、諜報省関係の事件を手がけることが多かった。起訴され有罪判決が出ているもので言う…
私が、平成7年から平成8年当時に取り調べていたオウム真理教の信者はかなりの数にのぼるが、どちらかと言うと教団の中で末端に近いところにいる信者が多かった。それだけに、取調べはかなり困難なものがあった。オウムの出家信者は、全財産をお布施して教団…
平成7年4月1日に、名古屋地検で、東京地検への異動を命じる辞令を交付され、あわただしく引越をして、東京地検に着任したのは、4月6日か7日ころであったと記憶している。当時、東京地検公安部には副部長が2名いて、そのうちの1人がオウム関連事件を…