「死刑求刑」私は裁けるか 鳥取強殺、緊迫の裁判員選任

http://www.asahi.com/national/update/0223/TKY201002220395.html

鳥取の殺害被害者2名の強盗殺人事件ですが、裁判員裁判で初の死刑求刑になるのではないかと、緊張が高まっているようです。

待合室での候補者は口数も少なく、張りつめた空気が漂っていた。抽選の結果、選ばれた人の番号が順次読み上げられる。呼ばれた初老の候補者の肩が「びくっ」と震えたのが見えたという。

私には、特に信仰はありませんが、かなり前、長崎平和祈念像で有名な北村西望作の聖観世音菩薩像(ブロンズ像)を買い求め、身近に置いて、時々見ていたことがありました(現在は事務所の玄関のところに置いています)。
民事事件は、勝つにしても負けるにしても、そこから新たに何かが始まる、新たに歩み始める、といったことを実感できる場合が多いように思いますが、刑事事件では、捜査・公判を通じ、関係者がどんどん落ちて行く、救われないという、切ない状態になることが多く、菩薩像を見ることで束の間でも心の安らぎを得ようとしていたのかもしれません。
以前、死刑の執行指揮をした法務大臣の、「祈るような思いだった。」という体験談を何かで読んで、強く共感を覚えたことがありましたが、上記の事件で厳しい立場に身を置かざるを得なくなる可能性が高い裁判員の方々は、さぞや大変だろうと思います。
こういった厳しさを乗り越えて行くのが刑事事件、という面がありますが、仕事でやっている私のような者とは異なり、裁判員の方々が乗り越えられるかどうかは未知数でしょう。