誤認逮捕「本当に悔しい」 愛媛の女子大生手記公表

誤認逮捕「本当に悔しい」 愛媛の女子大生手記公表 :日本経済新聞

手記によると、女子大生は一貫して容疑を否認。逮捕前に任意の取り調べを2回受け、県警から「タクシーに乗った記憶はないの?二重人格?」「就職も決まってるなら大ごとにしたくないよね?」「今の状況は自分が認めないから」などと言われた。代理人弁護士は「取り調べの際に大声を上げるなど威圧的な言動もあった。自白を取るための捜査に怒りを覚えた。再発防止を徹底してほしい」と話した。

 私が若手検事の頃に読んでいた取調べ方法に関する本(警察官出身者が執筆したものが多かった)では、自白させるという強い信念を持って取調べに臨めとか、真犯人であることに疑念を抱くな、抱けばそれを見透かされて自白は得られなくなる、といった心構え的なことがいろいろと書いてありました。その一方で、海外では

自白―真実への尋問テクニック

自白―真実への尋問テクニック

  • 作者: フレッド・E.インボー,ジョセフ・P.バックリー,ジョン・E.リード,小中信幸,渡部保夫
  • 出版社/メーカー: ぎょうせい
  • 発売日: 1990/02
  • メディア: 単行本
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 といった本(これは米国ですが)も出ていて、科学性を持ったテクニックを追求しようというスタンスはありましたが、上記の本は、技巧が過ぎて中には芳しくないトリッキーな手法も紹介されていて、あまり感心しないな、と思いながら読んでいたことが思い出されます(おそらく、現在ではアメリカでも否定されているような手法も紹介されていると思います)。

取調べの可視化の流れが強まる中、どうすれば自白が獲得できるのか、適正さを大前提とした適切なテクニックは、日本で、ほとんど全くノウハウが確立も共有もされていないのが、おそらく実態で、今だに、上記のような旧態依然とした自白の強要が日本全国各地で繰り返されている可能性が極めて高いでしょう。

取調べを、追及の要素を排除した、単なるインタビューにするのも1つの考え方ですが、真相解明のための手段と位置づけるのであれば、効果的な取調べ手法を科学的に確立していくことを、捜査機関として組織的に行っていかないと、取調べはますます捜査の暗部化し、真相解明から遠のくことになってしまうでしょう。

いくら科学捜査が進んでも、事件では常に犯人しかわからないことがあることも事実です。

また、取調べは、真相解明だけでなく、犯人ではない人物を早期に捜査対象から外す、フィルタリング機能も持っています。上記の事件でも、そういう発想が取調官にあれば、もっと違った取調べになっていた可能性があります。そこも軽視されてはならないと思います。