http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120705-00000106-san-soci
今回の報告は法制審にも提出される。捜査当局内部には全過程の導入に反対論が根強く、警察庁が昨年6月に公表した検証結果によると、全過程可視化については警察の取調官の約97%が異を唱えている。ある法務省幹部は「事件によって取り調べ相手の反応はさまざま。可視化を無理に推し進めると、真相解明ができない事件も多くなってしまうだろう」と話した。
「可視化を無理に推し進めると、真相解明ができない事件も多くなってしまうだろう」というのは、従来の、取調べを「秘め事」視し、人は密室でしか真相を語れない、供述調書に盛り込まれたことこそが真実、といった、歪んだ発想に基づくものでしょうね。ここだけの話にするから、お前が言いだしっぺとは調書に書かないから、などと、密室で様々な不明朗なやり取り、取引をしながら、捜査機関に都合よく供述調書を作成してきた大きく深刻な弊害こそ、まず重視するべきでしょう。
追及、というと、怒鳴ったり机をたたいたり脅したりする、という、レベルの低い取調べばかりやっているから、可視化されたら追及できない、というネガティブな発想になってしまうもので、穏やかな口調で、ポイントを突いて厳しく追及できるような取調べのテクニックを磨くべきでしょう。
私が考えているのは、被疑者側で、ここは、いきなり録画、録音してほしくない、といった場面では、一旦、録画、録音を止め、弁護士同席の上で取調べを行う、というものです。そういった方法による可視化、ということも、有効な可視化になるはずで(弁護士は、その状況を書面で正確に残すようにして、録画・録音とともに取調べの状況を明らかにする資料にすべきでしょう)、真相解明と両立する可視化は十分可能と思います。検察庁は、取調べの全面的な主導権を握っておきたい、弁護士風情に取調べに立ち会わせたくない、という独善的な意識が強く、可視化ということをより実質的に、有効なものとして考えたくないものと思われますが、検察庁が考える可視化というのは、所詮、その程度で(勉強のできない、勉強の仕方がわからない子供が勉強のスケジュールを立てても役に立たず勉強ができるようにはならないようなものでしょう)、可視化の問題は、政治が主導し法改正により徹底して、断固として行わなければならない、ということが、こういったところからも浮き彫りになっていると思います。