http://mainichi.jp/select/biz/it/news/20110616k0000m040078000c.html
判決は写真について「20年以上前の手錠姿を掲載する必要性は認められず、不法行為に当たる」と判断。記事については「母親が信じることについては一応の理由がある」などとして請求を退けた。
ヤフー側は「新聞社側が『第三者の権利を侵害するものではない』と保証して(記事や写真を)提供しており、サイト側の過失はない」と主張したが、判決は「人格的利益を侵害する写真が掲載されないよう注意する義務を怠った」と過失を認めた。
インターネット関連訴訟に詳しい落合洋司弁護士の話 新聞社の記事や写真を掲載したサイト運営会社の法的責任が問われたケースは極めて珍しく、先例的な判決といえる。米国では情報発信元の違法性が認められても掲載側に悪意がなければ免責されるが、日本はそうした法制度になっていない。このためサイト運営会社が新聞社と一蓮托生(いちれんたくしょう)と判断されても仕方がないのが現状だ。
米国では、配信サービスの抗弁というものが広く認められていて、地方新聞が信頼できる配信元から配信を受けた記事を掲載した場合に、そのような経緯故に免責されるという法理が存在していますが、日本の場合、現状では、先日、
共同通信記事掲載の地方紙、名誉毀損訴訟で逆転勝訴
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20110503#1304349501
とコメントしたように、通信社と加盟社のような一体とした関係があるという限られた場面において、最高裁が
新聞社が,通信社からの配信に基づき,自己の発行する新聞に記事を掲載した場合において,少なくとも,当該通信社と当該新聞社とが,記事の取材,作成,配信及び掲載という一連の過程において,報道主体としての一体性を有すると評価することができるときは,当該新聞社は,当該通信社を取材機関として利用し,取材を代行させたものとして,当該通信社の取材を当該新聞社の取材と同視することが相当であって,当該通信社が当該配信記事に摘示された事実を真実と信ずるについて相当の理由があるのであれば,当該新聞社が当該配信記事に摘示された事実の真実性に疑いを抱くべき事実があるにもかかわらずこれを漫然と掲載したなど特段の事情のない限り,当該新聞社が自己の発行する新聞に掲載した記事に摘示された事実を真実と信ずるについても相当の理由があるというべきである。
と言うように、通信社の抗弁を配信を受けた新聞社も援用できる(抗弁の接続、と言っても良いかもしれません)という限度で免責が認められているに過ぎません。
最高裁の示した基準に照らすと、産経新聞社とヤフー株式会社のような、通信社と加盟社のような一体性がない場合にはそもそも適用はなく、しかも、上記の記事にある事件では配信元の産経新聞社による不法行為が肯定されてしまい、ヤフーによる抗弁の援用、接続といったことを行う前提が崩れてしまっているわけですから、こういう状況の下での敗訴は必然でしょう。
記事では、
ヤフー側は「新聞社側が『第三者の権利を侵害するものではない』と保証して(記事や写真を)提供しており、サイト側の過失はない」と主張した
とあり、他に言いようがなかったので、こういう見るからに立ちそうにない、苦し紛れの主張になったのだろうと思いますが、この論法が通用するなら、情報提供元に上記のような念書でも一筆書かせておけば、週刊新潮でも東京スポーツでも、皆、免責ということになってしまい、そのような都合の良い、身勝手な話が通用するはずもなく、判決でも一蹴されたようです。
私自身は、上記のエントリーで
ただ、本件で問題となったような、通信社から記事を配信されるという従来のシステムを超えて、多種多様な仲介者を経てニュースが報じられ、国民の知る権利に資しているという現状がある中、本判決が言うような「報道主体としての一体性」を強調し、そういった場合にしか免責を認めないとすれば、実質的に、仲介する立場で、ニュースの配信元を信頼するのが相当と認められるような場合に免責が認められないことになり(例えば、ヤフーニュースを想定すればわかりやすいでしょう、配信元と、本判例が指摘するような一体性までは肯定できないと思います)、国民の知る権利を保障する上で問題が生じかねないでしょう。
とコメントしたように、共同通信と加盟社を巡る最高裁判例で示された「一体性」の要件を緩和し、ニュースサイトのような仲介者についても、配信元の抗弁の援用、接続を認め、それが奏功した場合には免責されるという法理を導入すべきではないかと考えていますが、奏功しなかった場合にまでも免責を認めてしまうと、無責任な情報仲介者が氾濫し名誉権等の人格権が踏みにじられてしまいかねず、現状のヤフーのような、金は儲けるが責任は取ろうとしない、儲けるのは私、責任を取るのは私以外の誰か、という「インターネット無責任企業」の横暴、傲慢を助長しかねないので、そこは慎重になるべきではないかと考えています。
追記1:
上記の東京地裁判決では、遺族の敬愛思慕の情の侵害が認定されていますが、こういった、死者の名誉が侵害された場合の問題点は、かなり前になりますが、
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20041112#1100260039
でコメントしたことがあります。興味のある方はご覧ください。
追記2(平成23年11月3日):
判例時報2123号47頁(東京地方裁判所平成23年6月15日判決)
死者の名誉毀損については、「落日燃ゆ」事件東京高裁判決が、「少なくとも摘示事実が虚偽であることを要し」としていますが、本判決では、そのような場合に限られない、という判断を示しています。落日燃ゆ事件における上記のような判断は、あくまで、死者の死後44年後に文章が発表されたという具体的事情を前提としたもので、一般化はできないと見るべきでしょう。そう考えないと、写真を掲載するような場合は、「虚偽」ということは通常考えにくく、遺族の敬愛思慕の情の保護に欠けることになってしまいます。