土方歳三辞世に新説「鉾とりて月見るごとに…」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110615-00000681-yom-soci

「従来、辞世とされてきた歌は詠んだ日時の推定が難しいが、巻頭歌は間近に迫る死を覚悟した内容で、亡くなる前日に詠んだ可能性が高い」としている。
 歌は「鉾(ほこ)とりて月見るごとにおもふ哉(かな)あすはかばねの上に照(てる)かと(鉾を手に取って月を見るたびに思う。あすはしかばねの上に照るのかと)」。

土方は、旧幕府軍の指揮官として戊辰戦争に加わり、新政府軍の総攻撃を受け、銃弾に倒れた。生き残った藩士らの証言などによると、その前夜、旧幕府軍幹部らが惜別の宴(うたげ)を開いていた。木村課長は「歌には悲壮な決意が示されており、土方が明日の死を予期しながらこの席で詠み、島田が大切に記録していたのでは」と話す。

以前、函館の五稜郭へ行った際、ここで、あの土方歳三が最期を迎えたのだなと、感慨深く思いながら、広い城内を歩いたことが思い出されます。遺体の行方はわかっておらず、今でも、どこかに静かに眠っていることでしょう。
土方歳三の辞世の句かどうか、断定まではできないものの、さくっとした感じの潔さが、伝えられるような土方歳三のパーソナリティに沿っていて、感慨深いものがあります。辞世の句をしたためつつ、土方歳三の胸中に去来したものは何だったのでしょうか。京都で新撰組副長として一世を風靡した晴がましい日々だったのか、敗走し、夢やぶれて北の地で最期を迎えようとする自らの運命への万感の思いだったのか、想像はふくらみます。