雲仙火砕流 焼けたカメラ、記念館で公開

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100327-00000004-maip-soci

1991年6月3日に発生し、43人の犠牲者を出した長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流で、当時被災した報道関係者のものとみられるカメラ1台が同県島原市で見つかり、国土交通省雲仙復興事務所が26日、同市の雲仙岳災害記念館無料ゾーンで公開を始めた。

カメラは、土中の毎日新聞社の車の中にあった。取材中に火砕流に遭い死亡した毎日新聞写真部員、石津勉さん(当時33歳)が被災現場で使用していたカメラと同機種。毎日新聞は、発見されたカメラと、石津さんのカメラの製造番号を照合しようとしたが、毎日新聞側の記録が更新されていたため、石津さんのものと確認できなかった。

私が徳島地検に勤務していた当時に発生した大災害でしたが、既に19年近くが経過し、時の流れということを改めて感じさせられます。
取材の必要上、危険な取材対象に接近するということはやむを得ないとしても、その危険性の実態や顕在化した場合の回避方法等を常に念頭に置いておくべき、ということを、上記の大火砕流事故は教訓として教えているように思います。
年月が経過し、当時の衝撃が風化しつつある今こそ、記事で紹介されている遺品は、記憶を新たにし教訓を蘇らせることにつながるような気がします。