過熱報道で「市民を殺した」悔やむ元記者 雲仙・普賢岳噴火から30年

過熱報道で「市民を殺した」悔やむ元記者 雲仙・普賢岳噴火から30年(47NEWS) - Yahoo!ニュース

市は同日、普賢岳の麓の一部に避難勧告を出したが、報道各社は黙殺して取材を続けた。中尾さんは「行政が大げさに言っているだけ、ぐらいにしか考えていなかった。最初のけが人がやけどで済んだため、『巻き込まれても死なない』という誤った認識を持ってしまった」と打ち明ける。  当時、報道各社は溶岩ドームの先端から約3・5キロにあり、火砕流が下る谷の真正面を「定点」と呼び、撮影拠点にしていた。ここも避難勧告の区域内となり、市や県警は再三にわたって退去を求めたが、聞き入られなかった。

当時、私は徳島地検に勤務していましたが、噴火に絡んでこれだけの犠牲者が出たことに、大きな衝撃を受けたことが思い出されます。

記事を読み、このような災害報道に際して、いかに危険を防止し人身を守るかについての尊い教訓となる事故であったということを改めて強く感じました。特に、火山噴火のように、動きが継続し、いつ事態が大きく変転するかわからないような災害においては、先を慎重に読みながらの行動が不可欠でしょう。

こういった体験談を今後に活かすことが強く求められると思いました。