伊勢湾台風

http://www.asahi.com/paper/column20090925.html

59年の9月26日は、今年と同じ土曜だった。名古屋地方気象台は、怪物のような台風15号に忙殺されていた。接近時の中心気圧は900ヘクトパスカルを下回り、夕刻、さほど衰えないまま紀伊半島に上陸する▼停電で情報が途絶える中、南からの暴風に乗って5メートルもの高潮が襲った。港の貯木場から流れ出た巨木が家々をつぶし、死者・不明者は名古屋市の低地を中心に5098人。伊勢湾台風の名がついたのは4日後である▼阪神大震災まで、これが戦後最悪の天変地異だった。濁流にのまれ、闇に引き裂かれた家族は数知れず、多くの悲話が残る。一つを、翌年に出た『伊勢湾台風物語』(寺沢鎮著)で知った▼ある家で5歳ほどの男の子の亡きがらが見つかった。傍らに水筒とリュック、財布には1枚の5千円札が入っていたという。親は「この子だけは」と手を尽くし、水にさらわれたらしい。初任給が1万円前後の頃である。こうして、中京地区の物づくりを支えるはずだった幾多の命が失われた▼気象台は台風の進路を読み切り、早めに警報を出していた。行政が避難を徹底させれば死者は250人に抑えられた、との分析もある。

上記の天声人語に出てくる、亡くなったお子さんやその家族は気の毒ですね。当時の初任給に照らすと、今のお金で10万円くらいになるのでしょうか。それだけのお金があれば、当面、周囲の人に面倒を見てもらいながら何とか避難生活が送れると、親が、リュックや水筒とともに必死に持たせた姿が見えるようで、心打たれるものがあります。かつて100歳の双子として人気があったきんさん・ぎんさんのどちらかが、今まで最も恐ろしかった体験は?と聞かれ、伊勢湾台風と答えていたことが思い出されます。
台風、豪雨、地震など、我々の生活は、突然の天変地異と常に隣り合わせであり、過去の大災害から多くの教訓を導き出し、今後へと生かすことで、被害を最小限度に食い止めるという努力が今後も地道に続けられるべきでしょう。