法科大学院、「適性試験」に最低ライン 中教審部会が案

http://www.asahi.com/national/update/0905/TKY200809050159.html

最低点は各法科大学院が決める形にするが、入り口段階で一定のハードルを設け、質の良い学生の確保を目指す。

一方で適性試験の成績と大学院入学後の成績について、相関性は必ずしも高くないとする調査結果もあり、中教審では適性試験の「中身」の改革も同時に検討していく方針だ。(

私は法律実務家なので、法律実務家の適性しかわかりませんが(それ自体についてもよくわからない面はありますが)、上記のような適性「試験」で、真の意味での適性がどこまで判断できるか、ということについては、疑問を持たざるを得ないですね。
実際は、法律の勉強をやってみないとわからない、というのが、おそらく実態で、やってみて向いていなかった、ということになってしまった場合、昔であれば進路を変更すれば済んだものが、現在は、決して安くはない費用をかけ法科大学院に入ってしまっているため、引くに引けない、辞めるに辞められない、という厄介なことになってしまうような気がします。
この種の適性の判断は、なかなか難しいもので、聞かれた場合、「ある」と言ってしまってなかったら困るし、「ない」と言ってしまって本当はあるのにやめられても困る、ということで、極力、言わないようにしてきた、というのが私自身の正直なところです。
ただ、私なりの基準を敢えて言うとすれば、
1 日本語を読み、聞き、書き、話すという能力が優れていること、特に、書く、話す、ということについては、論理的に展開する能力が備わっていること
2 一定の法律要件を満たすことで一定の法律効果が発生するということ(一種のこの世界における約束事)が理解でき、「法律要件」に関する様々な解釈論(判例を含め)に馴染めて、それを興味を持って学ぶことができること(「おもしろい」と感じられること)
3 上記の2に関する様々な問題点(いわゆる「論点」)を頭の中で整理、記憶し、それを前提に、出された問題について何が問題となりどのような解決法があるかを分析する能力を持っていること
といったあたりではないか、という印象を持っています。
適性試験を実施する場合、おそらく、こういったところを見ようとするのではないか、と思いますが、「試験」という方法で判断することは難しい面があって、やはり、法律の勉強をやってみないとわからないでしょう。その意味で、法律の勉強というのは、やってみないと適性がわからないという大きなリスクを抱えている、ということが言えるような気がします。