多すぎた法科大学院…新司法試験、崩れた構想

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090923-00000049-yom-soci

新司法試験は、知識詰め込み型の勉強が必要とされた旧司法試験と比べ思考力重視の内容とし、法科大学院は修了者の7〜8割が新試験に合格できるような教育を行うこととされた。

善か悪か、といった形で単純に2分してしまうと、「知識詰め込み型」対「思考力重視」ということになってしまいますが、法律の学習というのは、そういった単純に片づけられる問題ではなく、必要な知識は詰め込んでも習得する必要がある一方、知識をうまく生かして行く思考力というものも問われる面があるものです。昔からよくある誤解は、必要な知識を習得することから目をそらし、思考力の重要さを過度に強調するというものですが、必要な知識を取得しないまま考えを巡らせていても、ろくな考えは浮かんでこないもので、まずは、必要な知識を徹底的に頭にたたき込み、そういった作業を行いつつ、徐々に思考を深めて行かないと、法律の学習というものは進まないものです。そのあたりを、法科大学院の教育が、きちんとわきまえた上で進められているかどうか、しがない弁護士には検証のしようがありませんが、「崩れた構想」などと言われている現状ですから、うまく機能しているとは思えません。また、私の経験(自慢するわけでも何でもありませんが、大学に入ってから約3年半の学習で司法試験に合格)に照らしても、初学者が法科大学院の3年間の過程で合格レベルに達するのはかなりハードなもののはずで、元々の制度設計にもかなり無理があるのではないかという気がしています。そういった問題点の指摘、疑問の提示は、既に本ブログで何度か行ってきました。
私に言わせれば、新司法試験は受験者の2割、3割が合格できる、合格率が高い試験ですが(私の頃はその10分の1程度でした)、それでも泣き言を言っているような受験生の多くは、上記のような特質をもつ法律学習というものを誤解していたり(思考力があれば良いとか、そういった誤解をしている人ほど思考力もない)、うまく学習の波に乗れずにいたり、そもそも、法律の学習、特に、司法試験のようなそれなりに高度なレベルへの到達を要求される世界において適性に問題があるのではないかと思います。
昔は、そういった人々は、受験勉強の初期の段階で転身したり、択一試験の段階で何回かはじかれ適性のなさを悟って転身するなどしていたものでしたが、現在の法科大学院制度は、昔であれば痛手が少ない段階で転身できた人々を、誤解や幻想を持ったまま引くに引けないところまで引きずりこんでしまい、多くの人々に大きな痛手(経済的負担を含め)を負わせた上で何の展望も持てない状態で放り出し路頭に迷わせるという、かなり始末に負えない、酷い制度になってしまっているということを強く感じます。
新政権下で、こういった問題にも、今までのしがらみ等からは離れて、徹底的かつ建設的な見直しということが行われなければならないでしょう。