ビラ配布:解説 表現の自由、制限範囲明示を

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080412k0000m040103000c.html

判決はまた「表現そのものでなく、表現の手段が問われた事件」としてビラの内容を判断の対象としていないことを示している。だとすれば、広告など「商業ビラ」の配布が問題にされないのに、3人を摘発したことへの疑問は残る。捜査当局にはこれまで以上に公平かつ説得力のある権力行使が求められる。

最高裁で上告棄却となりましたが、この事件に対する感想としては、以前、

私的と公的の間
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20041229#1104253701

で述べた通りですね。
住居や建造物への「侵入」行為にあたるかどうかを、管理者の意思に基づいて判断するという最高裁、実務の多数説のスキーム自体は是認されるとしても、「意思」がどこまで明示されているかどうかという問題は常にあり、形式的に不特定多数の出入りを禁止する意思が明示されていたとしても、禁止されているはずの出入りが事実上野放しになっているような実態があれば、そういった意思そのものの存在が疑問視されることもあるでしょう。また、そういった実態に照らし、違法性のレベルで、可罰的違法性を否定すべきケースも、やはりあるように思います。
そもそも、日本の裁判所は、捜査機関の事件選択の恣意性について立ち入らないという立場に立ち(例外は職務犯罪を構成するような場合程度ですが、そこまで極端なことは、通常、起こらないでしょう)、我々は出された料理しか食べませんよ、出されるまでに捨てられたものは関係ないですよ、という、お気楽、無責任な裁判所になってしまっていますが、ピザ等の宅配チラシ、各種の商業ビラ等々、種々雑多なチラシ、ビラは放置される中で、政治的なメッセージを、特に、自衛隊の官舎に自衛隊の活動を批判するビラを配布した行為「だけを」ことさら取り上げ、立件した捜査機関の事件選択の恣意性について、最高裁は何ら立ち入っておらず、これが何も問題ではない、などという詭弁を受け入れられる人は非常に少ないでしょう。
裁判員制度で市民の感覚を刑事裁判に導入してどうのこうの、などと歯の浮くような美辞麗句を並べ立てても、こういうことをやっているようでは、国民に真に信頼される裁判所には永遠になれない、ということは、よく覚えておくべきではないかと思います。