今日のサンデープロジェクト(テレビ朝日系)の特集

先ほど、放映されていたのを見ましたが、福井で発生した殺人事件(再審申立中とのこと)、有名な草加事件について、検察官による証拠開示が極めて不十分であったために真相解明が阻害されたのではないかという観点で構成されていて、なかなか見応えがありました。福井事件については、1審の公判に立ち会っていた検事と、私はあるところで一緒に勤務したことがあり、事件の詳しい話までは聞きませんでしたが、有罪であることにかなり自信を持った口ぶりであったことが、特集を見ながら思い出されました。
証拠開示の問題は、古くて新しい問題と言っても過言ではなく、かつて出た最高裁の著名な判例により、裁判所の訴訟指揮によりケースバイケースで解決するというスキームの中で実務は運用されてきましたが、検察庁の姿勢が開示を極力行わないということで頑なであったことや、裁判所が証拠開示というものに消極的な傾向を強く持っていたことなどから、特に、上記の特集の福井事件で問題となったように、犯行現場の写真すら出てこないという極端な事例(あまりにも極端で私も見ていて呆れましたが)すら生じてしまったという側面があるように思います。
既に実施されている公判前整理手続の中では、弁護人から検察官に対し、様々な証拠開示請求が可能になっていて、以前に比べるとかなりの改善はありますが、「全面」証拠開示という制度ではないだけに、重要、決定的な証拠が開示の対象から漏れているのではないかという疑念は払拭できませんし、そういった疑念について、裁判所ですら確認ができず、検察官の判断に委ねられているだけという現状は、やはり、根本的に欠陥を抱えていると言われても仕方がないでしょう。
公判前整理手続が採用されない事件では、従前からある上記のようなスキームで、今後も運用されるという状況にあり、すべての刑事事件に通じる抜本的な改革というものを早急に行わないと、今後も証拠開示を巡る不毛な争いが続くことは目に見えています。そういった不毛な争いが、真相解明の阻害や冤罪を生む可能性がある以上、国会、最高裁法務省日弁連といった、この問題に関係する人々は、座視すべきではなく改革へ向けて動くべき責務があると言えるように思いました。
草加事件に携わった検事が、弁護士に転じ、よくバラエティー番組などに出ていますが、サンデープロジェクトからの取材依頼に対し、守秘義務を理由に取材を拒否したことが特集中で紹介されていました。それを見て、すでに「秘密」ではなくなったことについて話すこともできないのか、バラエティー番組でお笑い芸人などとふざけて笑いを取ったりすることはできても、こういった真面目で刑事司法の根幹に関わるような問題について真摯に対応し可能な範囲内(例えば書面で回答するとか)で取材に応じることすらできないのかと、疑問を感じましたが、こういった疑問を感じたのは、おそらく私だけではないでしょう。
特集で紹介されていたように、草加事件では、犯人とされた少年達の中には存在しない血液型の者が犯行に関与した可能性が非常に高く、家裁送致前の捜査の中でその事実が判明していた以上(それは特集中でも紹介されていました)、少なくとも、勾留満期の時点で事件を身柄付きで家裁に送致すべきではなく、身柄は一旦釈放した上で、その点に関する捜査を尽くして事件の取り扱いを決めるべきであったと言えると思います。捜査の結果が嫌疑不十分であれば、家裁に送致せずそこで不起訴処分にして刑事事件は終わらせるべきであり(嫌疑不十分、嫌疑なしについては不起訴処分として家裁には送致しないのが実務です)、その点の解明を怠ったまま、漫然と身柄付きで家裁送致したというのは、検察庁の重大な過誤であり、そういった過誤をきちんと総括しないまま、捜査に携わった元検事が取材を拒否してお茶らけたバラエティー番組などに出ているのであれば、その姿勢を批判されてもやむを得ないでしょう。