自白調書も厳選、提出しない選択も 最高検が方針転換

http://www.asahi.com/national/update/0326/TKY200803260221.html

指針はまず、裁判員の能力や負担を踏まえて刑事訴訟規則に新設された「証拠厳選」の規定に絡み、「厳選しなければ裁判員を誤った判断に導くおそれが高い」とその必要性を訴えている。
自白調書についても、「証拠としての揺るぎなさ」では証拠物や鑑定書、捜査報告書を下回るとした上で「信用性に疑問を抱かれたときのダメージは極めて大きい」と提出に伴うリスクを指摘。「まず自白を除いて、より客観性の高い証拠によって何が立証できるか」を検討し、自白が本人の意思によるものかという任意性をめぐって立証に時間がかかりそうな場合は「あえて提出にこだわらない選択もあり得る」としている。
また、検察側がこれまで多くの証拠を提出してきた背景について、「無罪や量刑不当などの判決が出た場合に、高検や最高検から立証不十分と言われないように」といった自己防衛的な発想があった――と分析。「証拠を厳選して無罪や量刑不当の判決が言い渡されても、検察官を非難すべきではない」と、現場に非難が集中しがちな検察の内部体質を戒めている。
一方、裁判員裁判が扱うのは、殺人や強盗致死など被害者感情が強い重大事件がほとんどのため、検事の中には「無罪判決が出れば、担当検事は内部から『なんで自白調書を出さなかったのか』と責められるだろう。指針はきれいごとに過ぎない」との声もある。

裁判員制度が開始されれば、従来の証拠の出し方を漫然と踏襲できないということでいろいろと検討が加えられているものと思いますが、難しい事件であればあるほど自白(自白があれば、ですが)への依存度、検察ストーリーにおける証拠構造の中での自白の重要性は高いのが通常ですから、任意性、信用性に問題があるから出さずに済まそう、では、それこそ済まない、というケースも当然出てくるでしょう。その線引きをどこでするか、ということではないかと思います。
最高検はともかく、高検は、役に立たない、どこにも持って行き場のない検事が集まった廃棄物中間処理場のようなところで、自分ではできもしないことでも文句だけ言う、ということが得意中の得意な人々が集まっていますから、最高検が言っているような「証拠を厳選して無罪や量刑不当の判決が言い渡されても、検察官を非難すべきではない」などという「きれいごと」が通用するような世界ではなく、結局、出せるものは、問題のある自白であろうが何であろうが何でも出しておこう、まずいものは徹底的に隠しておこう、という、従来の体質はなかなか改まらないのではないか、と思います。