今市事件 7時間以上の取り調べの録音録画 再生始まる

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160310/k10010438541000.html

取り調べの録音・録画の記録が法廷で長時間公開される今回の裁判について、元検事の落合洋司弁護士は「検察は自白に頼った立証をせざるをえない状況になっていて、裁判官や裁判員に被告が任意で供述したと印象づけたいのではないか」と指摘しています。
また、検察が「Nシステム」と呼ばれる車のナンバープレートを読み取る機械の記録を、事件当時の被告の行動を示す証拠として提出したことについては、「プライバシーへの懸念が強いNシステムを裁判に出すのは控えることになっているが、今回は検察側も必死で立証しようとしているのではないか」と述べています。
今後の審理では被告が任意で供述したかや、自白の内容が信用できるかが焦点になりますが、落合弁護士は「すべての過程が録音・録画されているわけではなく、密室での取り調べの部分は水掛け論になるので、裁判官や裁判員は難しい判断を迫られる」と指摘しています。

検察官が立証する上での「証拠構造」が、自白に大きく依存していることは間違いないでしょう。普通は、自白を支える証拠が幾つかあって、それらが自白を支えて立たせるつっかい棒のような構造になっているところが、「支えて立たせる」までには至っていない、かなり脆弱なものでしかないが故に、自白自体がきちんとそれだけでもしっかり立っているようなものでないともたない、だからこそ必死に、捨て身で自白の任意性、信用性を立証しようとしている、そういう印象を強く受けるものがあります。
取調べというものは、元々、力関係で圧倒的に差がある取調べ側とされる側の、密室内でのやり取りの中で生み出されるもので、その意味で任意性に問題が付きまといますし、そこがクリアされても、その性質上、信用性にも限界があるもので、そうであるからこそ、憲法刑事訴訟法は、自白のみでは有罪にできないとして「補強証拠」を要求していますし、刑事実務でも、自白がそれのみでしっかり立つようなことはそもそも無理であるという意識、感覚を持ちながら、極力、裏付ける証拠を見出して起訴、有罪に持ち込んでいるものです。
今市事件で、かなり自白の信用性を損ねるのではないかと思われるのは、自白と、客観的な遺体の状況、現場の状況が合わないと解剖医が証言していると報じられていることで、過去の無罪、冤罪事件でも、こうした客観証拠と矛盾した自白の信用性が否定された例は多数ありますから、今市事件でも予断を許さないものがあると思います。
有罪判決へのハードルはかなり高そうです。