東郷外相と嶋田海相

年末の新聞を整理しながら読んでいたところ、12月30日・朝日新聞朝刊(12版12、13面)「歴史は生きている」で、日米開戦間際の日本側の動きが振り返られていました。
日米開戦後、前面に立って戦うことになるだけに、必敗を強く主張し戦争回避へと動くべきであった海軍でしたが、嶋田海相は、10月30日の時点で、「数日来の空気を総合して考えると、この大勢は容易に挽回できない」などと弱気なことを述べ、早々に、開戦への抵抗を放棄します。
その一方で、東郷外相は、開戦回避へ向けて最後まで努力し、対米最終案(甲案)とは別に、乙案を考え、その中で、米国による対日石油輸出禁止を招いた南部仏印進駐につき、北部への撤収と引き換えに米国による一定量の石油輸出を認めることを提案し、戦争回避を目指します。
結局、乙案の中の譲歩部分が米国に伝えられず、その後、米国による強硬なハル・ノートが出される中で、乙案が実現することはなかったわけですが、上記の記事では、研究者のコメントとして、乙案が完全に提示され12月の開戦が回避されることで、日米開戦自体が避けられていた可能性もあった、とされています。歴史に「もし(if)」はない、と言いますが、何とか開戦は避けてほしかったところです。
人としての重大局面への臨み方には、いろいろなものがありますが、嶋田海相のような臨み方は最低かそれに近いものであり、やはり、東郷外相のような臨み方こそ、自分が目指すべきものではないか、と強く感じました。