核密約、「事前協議制度」解釈の違いが発端 関係者証言

http://www.asahi.com/politics/update/0921/TKY200909200230.html

証言をまとめると、「核密約」は(1)日本側が「解釈の食い違い」を米側に合わせる形で埋めた(2)そのため、核の寄港・通過が継続された(3)日本政府は国民にその事実を隠し続けた――という経緯で段階的に成立したことになる。

63年に池田勇人首相が行った「核弾頭を持った船は、日本に寄港はしてもらわない」という国会答弁などを知って「解釈の食い違い」を懸念した米国は、同年4月にライシャワー駐日大使が大平正芳外相に米国の解釈を伝えた。さらに68年1月には、ジョンソン駐日大使が牛場信彦外務次官と東郷文彦北米局長に詳しい経緯を説明した(肩書はいずれも当時)。東郷氏は60年安保条約交渉に担当課長として臨んだ当事者だったが、このとき初めて「解釈の食い違い」を知り、自らの不明を恥じる文書を内部に残していたという。

朝日の今日の朝刊での記事では、もっと長く解説されていて、それも読みましたが、信用性の高い供述調書を読んだ時のような、なるほどと納得できるものを強く感じましたね。
今では、元自衛隊幹部が日本の核武装論を唱えても、世間が一笑に付す程度で済むような環境になっていますが、70年代、80年代の日本では、核兵器に対する拒絶反応が今よりもはるかに強く、核兵器を搭載した米国艦船が日本に寄港したり了解を通過することを認めるような状況にはなかったことが思い出されます。だからと言って、虚偽答弁を繰り返すなどして国民を騙して良い、ということにはならず、当時の政府関係者の責任は厳しく問われるべきでしょう。ただ、聞くところによると、米国の艦船は既に核兵器を搭載することをやめているとのことであり、この問題は既に過去のものにはなっていて、今後の日本における核兵器の問題を検討する上で教訓になるような、建設的かつ冷静な検証というものをきちんと行う必要性を感じます。