検察の捜査公判対策 何より自白偏重主義を改めよ

http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017200708171298.html

「自白調書、不提出も 裁判員対策で最高検試案」
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070817#1187317124

に関する愛媛新聞の社説です。

プロの裁判官でも自白の評価が真っ二つに分かれてしまう。市民が自白の信用性を判断するのは極めて困難だ。

検察は試案新版を裁判員制度をスムーズに運用していくための立証対策に終わらせてはならない。従来の自白偏重主義を改める端緒にすべきだ。

この問題は、「自白偏重主義」という曖昧な言葉でその是非を論じるべきではなく、より分析的に見て行くべきでしょう。
私見では、

1 自白の証拠としての価値をどう見るべきか
2 自白をいかに獲得すべきか
3 自白の任意性、信用性をいかに立証すべきか

という視点が必要ではないかと思います。
1については、現在の刑法をはじめとする刑事実体法において故意、目的等々の主観的要件が多々存在することや、法定刑の幅が大きく、動機や事件の背景等が大きく問題になる状況下では、自白を除いた他の証拠により立証できるものは、やはり十分とは言い難く、現在の法律や訴訟そのものを抜本的に改めない限り、自白の重要性は変わらないでしょう。「自白偏重」と言うと、ネガティブな語感がつきまといますが、自白を「重視」することは、他の状況証拠からはより重い犯罪の嫌疑があっても自白を重視し、その限度で罪を問う、ということもあり得ることであり、上記のような点も含め、即、いけないこと、許されないことにはならないと思います。
その場合、問題は2です。これは3の問題にも絡みますが、現在の密室における取り調べというものが、様々な問題のある取り調べ、任意性、信用性に問題のある自白調書を生んでいるのではないか、やはり、取り調べを可視化すべきではないか、ということが、早急により大きく議論され、制度の改革が行われるべきでしょう。
ただ、取り調べの可視化が実現された場合に、自白の証拠としての重要性に手をつけず、可視化により自白獲得が困難になる、ということになれば、犯罪立証に大きな支障が生じ、治安対策上、大きな問題が生じる恐れがあります。警察が、取り調べの可視化に強く抵抗する理由は、そこにあります。この点について、私は、取り調べの可視化とともに、司法取引や供述による刑事免責、といった制度を大胆に導入し、より大きな悪、犯罪を徹底的に追及できる制度も併せて導入すべき、と以前から考えていて、単純な可視化論者ではありません。
最後に3の問題ですが、これは、従来から問題があったところであり、一旦、自白の任意性や信用性が問題になると、取調官の証言と被告人の供述が対立し水掛け論になったりして、何が真相かがわかりにくく、審理にも時間がかかっていたところです。取り調べの可視化が実現されれば(その程度にもよりますが)、問題は解消されますが、そうならない限り、特に、裁判員に対していかに立証すべきか、ということが、当然、大きく問題になります。現状のような水掛け論的な立証を検察官が行っていては、裁判員の理解が得られず、自白調書の任意性や信用性が次々と否定されることになりかねず、そこに、検察庁が抱える危機感があるのではないか、だからこそ、検察官の取り調べを録画・録音することが試行されている、と私は考えていますが、一部とはいえこういったことを試行することは、パンドラの箱を開けてしまったようなものであり、もはや、可視化への流れを止めることはできない、と思います。