「難しい」「時間不足」 自白撤回で模擬裁判

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007092201000439.html

自白の任意性、信用性が争われる公判は、複雑化、長期化しがちで「時間的制約の多い市民が加わる裁判員裁判で最も難しいケース」とされており、今回の結果はこうした“危機感”を裏付ける形となった。

裁判員役からは「議論が難しい」「検察官の主張はまとまり過ぎていて信用性に疑問を持った」「調書より目の前で話す被告の供述の方が信じられる」などの感想が出たという。

なぜ、この問題が難しいか、を論じ始めると、1冊の本が書けるほどですが、端的に言うと、

1 取り調べが密室で行われていることから、そこで何が行われたかを再現するのに、被告人や取調官の供述に依存するしかなく、水掛け論になりがちで、わかりにくいこと
2 「任意性」における「任意」ということが、常識的な語意としての「自由意思」「自ら」「自発的に」といった解釈をされておらず、取調官が追及し被疑者が追及される、という一定の力関係を前提とする中で、その限界を考えるという、一般人にはわかりにくい構造になっていること
3 信用性の判断にあたり、従来の評価基準では「具体性」「迫真性」など、証拠評価に習熟していなければ判断しようがない基準が多用されている上、他の証拠関係との整合性も問題になり、一般人には判断しづらい仕組みになっていること

といったことが指摘できると思います。取り調べの可視化は、上記の1や2を、端的に解決することにつながる可能性がありますが、自白調書を「もぎ取る」ことで、数々の事件が解決されてきた、という自負がある捜査機関側としては、自白がもぎ取れなくなる事態は避けたく、必死に抵抗している(特に警察は)、というのが現状でしょう。
とは言え、上記の記事にあるように、模擬裁判の裁判員役から「調書より目の前で話す被告の供述の方が信じられる」といった感想が出ているわけですから、可視化には反対、と金科玉条のように言っていてそれでは済まない、という状況になっていることは、動かし難い事実と言えると思います。