相次ぐ無罪、検察が検証 最高検がPTで改善策

http://www.asahi.com/national/update/0804/TKY200708030509.html

無罪事件については、捜査機関として徹底的に検討し教訓を導き出して今後に生かす必要がある、と本ブログでも繰り返し指摘していますが、最高検もその必要性は感じて実行しているようです。
鹿児島の選挙違反事件では、

報告では、当時の地検首脳が取り調べに関する指示を各検事に直接出すなど、検察捜査を主導していたことを問題視した。地検内には起訴に消極的だった検事がいたにもかかわらず、その意見を顧みなかった疑いが強いとし、組織内のひずみが指摘されたという。

とのことですが、この辺りは、亡くなった伊藤元検事総長

検事総長の回想 (朝日文庫)

検事総長の回想 (朝日文庫)

の中で、造船疑獄の際、捜査会議において、河井信太郎主任検事を中心に次々と強気の意見が開陳され、慎重な意見はかき消され、無理な起訴が重ねられて、後に無罪判決が相次いで、伊藤元総長が河井氏を「法律家とは言えない。」と、厳しく批判していたことが思い出されます。造船疑獄は昭和20年代の事件ですから、既にその時から(おそらくその前から)、検察庁という組織はひずみを抱えていた、ということになるでしょう。
また、記事の中にある、佐賀地検独自捜査の背任無罪事件については、以前、本ブログでもコメントしたことがありますが、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060503#1146650314

記事にあるような、

人手が不足し、基礎捜査が不十分な中で、農協トップの元組合長を逮捕した問題にも言及。実質的に主任検事の立場だった地検幹部が、直後に異動を控えていたため、「在任中に逮捕したいと功を焦った疑いがある」ことが指摘されたという。

といった、事件の筋読みもできず、功を焦るといった不純な要素を事件処理の中に介在させてしまうようでは、検察官、検察幹部として致命的と言っても過言ではないでしょう。「名目上の」主任検事は、暴言の責任を問われて辞職したようですが、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20051228#p3

名目上の主任検事を、暴言を吐かざるを得ないところまで追い込んでしまった「実質上の」主任検事が、おそらく、のうのうと検察庁内で過ごし、今後、さらに昇進し、退官後も公証人などになって悠々と人生を楽しむ、というところに、救いがたい組織のひずみ、ゆがみを感じるのは、おそらく私だけではないと思います。