4月21日は救助死した夫の命日 妻は語った「家族にとっては、美談じゃない」

4月21日は救助死した夫の命日 妻は語った「家族にとっては、美談じゃない」(斎藤秀俊) - 個人 - Yahoo!ニュース

「なぜ夫は飛び込んでしまったのでしょうか。」真裕美さんは事故直後からずっと自問自答してきた。「泳げたし、力もあったし、背も高かったし、溺れるなんてきっと考えなかったでしょう。思考がデジタル的だから、何も考えずに飛び込むわけはないのにな。」

 事故からしばらくして、隆司さんの小さい頃からの友達が弔問に来てくれた。中学生の時、急病でプールに沈んだ友達を発見し、とっさに助けた、という話を聞かせてくれた。「ああ、そういえば、夫もそんなことを話していたことがあったっけ。きっとこういう体験が背中を押したのかな」とも思った。

 「夫が目の前で溺れている子供を見て、でも勇気が出なくて飛び込まなかったら、夫は心にトラウマを持つことになったかもしれません。でも私はね、飛び込まないでほしかった。」

 こういう悲劇をできるだけ防止するために、身の回りにおいて危険な場所を、できるだけなくしたり子供が近づけないようにすることは、不断に続ける必要があると思います。

また、こうして、人命救助のために命を落としたり怪我をする、といったことが生じた場合、それは、社会に代わって生じた犠牲ですから、必要な公的補償を行う仕組みも導入する必要があると思います。

こういう場面に遭遇した場合、私であればどうするか、と考えてみましたが、実際にその場になってみないとわからない面があるものの、何もせずただ見ているでは済まないだろう、という気がします。こうして犠牲になった人の姿は、明日の自分の姿でもあると思いつつ、対策の必要性を痛感しました。