上海列車事故 当事者意識が欠落した学校

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090422-00000639-san-soci

学校が十分な下見や事前調査をしていれば、生徒たちを事故に遭わさずに済んだのではないか。引率の教員が現場を離れず救助していれば、助かる命があったのではないか。どうして心から遺族に寄り添わなかったのか−。
中田さんの「なぜ」にも通じる疑問を、報告書は正面から取り上げなかった。代わりに、学校の正当性を随所で強調した。下見は当時の校長が「健康上の理由により」、夫婦同伴の旅行として行った。教員たちは「官憲に強く指示、誘導され」、現場から立ち去った。「亡くなった生徒があまりに多く」、弔問の間隔が空いた。
なにより、作製まで21年もかかった理由を、村岡高光校長は次のように釈明した。それは、学校が今も当事者としての認識がないことを示すのに、十分な言葉だった。
「遺族の一部が学校を提訴し、裁判資料の作成に時間がかかった。その後は教員の入れ替わりがあり、なかなか形にならなかった」

部外者が軽々にはコメントしにくい面がありますが、こうした記事を読むと、学校側に、法的責任まで認定するのは難しいとしても、様々な不手際、誠意のなさといったものがあって、遺族感情を逆なでし修復困難な状態にまで至らせてしまったという印象を強く受けますね。
別の記事で見たところ、当時の上海周辺では列車事故が続発していて鉄道の安全性に疑問が生じる状況であったことが指摘されていて、そういった地域に、「夫婦同伴の旅行」で校長が下見に行っても、単なる物見遊山の旅行でしかなかったのではないか、どこまで実質的な意味での下見ができたのかということについて、遺族が疑問を持つのも無理からぬことではないかと思います。
事故発生は昭和63年で、既に21年が経過し、関係者はともかく世間的には風化というものが避けられない面はありますが、日本国内の旅行と同様の感覚で、安全性に対する意識が欠如あるいは鈍いままでのこのこと修学旅行に出かけて行く危険性や、事故が発生した場合の適切な措置を講じることができないまま対応が後手後手にまわることで拭いがたい不信感を関係者に植え付けてしまうことの怖ろしさといった、この事故から導き出される様々な教訓は、風化させるべきではないということを改めて強く感じます。