地下鉄サリン事件の日の私

18年前の今日、私は、勤務していたのは名古屋地検でしたが、その前日が休日で大学時代のゼミの同窓会があったため上京していて、新宿のホテルに宿泊していました。前夜は割と遅くまで飲んでいて、午前9時前くらいに起きてテレビをつけると、ただならぬ様子が映し出されていました。印象に残っているのは、多分、築地駅の上の様子であったと思いますが、消防のテントが張られて、そこに次々と人々が運び込まれている光景です。発生直後は、「同時多発テロ」という伝えられ方でした。
その日は名古屋に帰るだけの予定で(平日でしたが休暇を取っていました)、霞が関駅でも多数の負傷者が出ているということだったので、駅の様子を見てみようと思い、早めにチェックアウトして、新宿駅から丸ノ内線に乗りました。その後、止まったようですが、私が乗ったときはまだ電車が動いていて、霞が関駅は通過した記憶があります。ホームはがらんとしていて、誰もいなくて、そこを電車が通り過ぎました。その後、徐々に、劇物を使った大規模テロ、ということがわかり報じられてきたという流れでした。
その後、名古屋に戻って仕事をしていると、3月末には、警察庁長官銃撃事件が起き、その前には、オウム真理教に対する強制捜査も始まっていて、4月から東京地検へ異動し公安部勤務になることになっていた私も、異様な緊張感の中にいました。これからどうなるのだろうか、自分がその中で働いて何ができるのだろうか、といった、疑問や不安もかなり大きかったことを鮮明に記憶しています。3月で31歳になり、検事任官後6年を経て4月から7年目に入ろうとしていた、正にその時に起きたのが地下鉄サリン事件でした。
あれから18年、時の流れの早さと、時の流れによっては埋めることのできない大きなものの存在を、今もって感じます。一連の事件で亡くなった方、負傷した方、今なお後遺症(精神的なものを含め)に苦しむ方、その関係者の方々、様々な人々にとって、事件はいつまでも風化することはないでしょう。平和な生活、社会が、一瞬にして崩壊する恐ろしさや、そういったことを防止することの重要性を、今後も、私は、おそらく死ぬまで、この日になると、あの日の記憶とともに思い起こすでしょう。