http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111121-00001448-yom-soci
読売新聞は1995年1月1日の朝刊1面で、「山梨県上九一色村(当時)でサリン残留物を検出」というスクープ記事を掲載した。記事で前年に起きた松本サリン事件とオウム真理教との関連が初めて示唆され、教団は慌てふためいた。サリン製造プラントだった教団の施設「第7サティアン」が宗教施設であるように装うため、その一部を自らの手で取り壊し、サリンの製造は中止された。
教団は、自分の手で製造した70トンものサリンを霞が関や皇居に空中散布して大量殺人を実行し、混乱に乗じて自動小銃を持った信者が首都を制圧するという国家転覆計画を企てていた。
平成7年から8年当時、私は東京地検公安部所属で、かなりの数のオウム真理教信者を取調べましたが、上記の読売記事が出た後、教団内部は俄に慌ただしくなり、製造しようとしていたAK74(ロシア製の自動小銃)の製造を中止して部品の隠匿に奔走するなどしていた状況を、信者が生々しく語っていたことが思い出されます。自動小銃の件は、武器等製造法違反事件として、平成7年7月に多数の信者が逮捕され、私もその捜査に加わりました。上記の記事にある、サリン散布用と言われたヘリコプター購入や操縦できるよう信者が訓練を受けた状況なども、かなり突っ込んでいろいろな人から事情を聞いた記憶があります。オウム真理教は、自衛隊員の取り込みも図っていて、いろいろな工作がもっとうまく進み、また、時間があれば、戦前の2.26事件程度のことはできていたかもしれません。
甲斐中次席検事(当時)には、次席検事室に呼ばれ、取調べの際の心構えなど、親しく指導を受けたこともあり、今ではしがない弁護士に成り果てた私のことなど忘れていると思いますが、私にとっては、オウム真理教事件も、当時の甲斐中次席検事など検察関係者のことも、昨日の事のように思い出されます。私は、もう、こういう状態なので、後進に経験や知識を伝えることはできませんが、検察、警察、自衛隊等では、オウム真理教事件を経験した人々がまだ幹部として残っている間に、貴重な教訓を若い人々に教え、残しておいてほしいと思います。