県警、密室トリック見破る 各務原女性殺害、現場に違和感

http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20121020/201210201121_18383.shtml

部屋のドアは、カードキーを差し込んで開錠するタイプで、鍵の複製は不可能だった。二つある鍵の一つは室内に、もう一つは父親が所持。窓も閉まっており、完全な密室だった。県警幹部は「事件の線は薄いとの見方は確かにあった」と振り返る。
しかし、ある捜査幹部は「部屋の空気みたいなものから、事件の線は捨てきれなかった」という。

着目したのは、玄関ドアの新聞受け。内側の箱のふたが開いたままだった。「新聞が箱の中にたまらないよう常に開けている人はいると思う。しかし、被害者は新聞を取っていなかった」。ドアに何らかの細工をするために、犯人が開けたものなのではないか―。「違和感を感じ、ずっと気になっていた」

被告はその後、ドアの外から新聞受けを通じて内側の鍵にひもを付け、外側からひもを引いて施錠する工作を説明。「自殺に見せかけるつもりだった。交際トラブルで殺害した」などと供述した。

上記の記事を読んですぐに思い当たったのは、現在、注目されている遠隔操作ウイルスの事件でした。ウイルスの件でも、一見、パソコンの持ち主が犯人に見えてていたわけですが、岐阜の件のように、どうもおかしい、という健全な疑問、違和感を持ち、それを大切にして別の可能性をきちんと検証、確認していれば、起きてしまったような誤認逮捕、誤起訴、といったことは避けられた可能性があるように思います。
逆に、岐阜の件で、見えているもので即断してしまう、ということをやってしまっていたら、自殺として処理され犯人の狙い通りで事が運んでしまった(ウイルスの件で捜査機関がまんまとはまってしまったように)可能性が高いでしょう。
見えているものだけで思い込んで暴走する、ということの危険さ、恐ろしさ、捜査のプロとして期待されているものは何か、ということを、岐阜の件とウイルスの件の対比の中で、しばし、しみじみと考えていました。