<覚醒剤密輸>東京高裁で逆転有罪 裁判員裁判の無罪破棄

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120404/trl12040418540001-n1.htm

被告が、スーツケース内に違法薬物が入っていることを認識していたかが争点で、1審は「密輸の認識があったとするには疑いの余地が残る」と判断した。
金谷裁判長は、被告が自動車やパソコンを購入するために来日したと説明しながら、所持金が13万円余りで、クレジットカードやカタログも所持していなかったことを指摘。「所持品には覚醒剤密輸以外の渡航目的をうかがわせるものがない」と判断した。
また、税関検査で覚醒剤が見つかった際に驚いた様子がなかったことは「明らかに不自然」で、「スーツケースに覚醒剤が隠されているかもしれないとの認識があったことは優に推認できる」と結論づけた。

私は、千葉地検で麻薬係検事をやっていた時期があったこともあって、裁判所による、従来からの、この種の薬物密輸事件における状況証拠による犯意の認定という手法自体は理解していますが、こうした手法には危うさもあって、事実認定を行う者による、ちょっとした心証の差異により有罪、無罪が分かれるという不安定さがあると感じています。運、不運で有罪、無罪が分かれてしまう、ということは、被告人にとっても、刑事司法にとっても、耐え難いものがあるでしょう。
しがない弁護士には、すぐには名案も思い浮かびませんが、この種の事件に対する、一般予防効果、抑止効果を狙った厳罰、必罰主義ということも(それ自体を否定する気はないですが)見直して、違法薬物を持ち込ませないことを優先させ、そのための対策をさらに徹底し、刑事罰については従来よりも一歩引いて臨み、犯意について一種の水掛け論状態に陥ってしまうケースは無理に起訴しない、ということも、検討してみるべきではないかという気がします。
密輸組織にとっては、運び屋はその場限りの「捨て駒」でしかなく、発覚して有罪判決を受け刑務所で長期服役して沈んでしまっても、痛くも痒くもなく別の運び屋を探すだけのことで、運び屋になる人間も掃いて捨てるほどいるものですから、従来の厳罰、必罰主義による一般予防、抑止効果は、かなり限定的なものでしかないと思います。