http://www.asahi.com/national/update/1117/TKY201011160516.html
http://www.asahi.com/national/update/1117/TKY201011160516_01.html
国民が加わった判断の重みをどう見るべきか。ベテラン刑事裁判官の一人は「結論に自信を持っていても、命を奪う重大な刑に変わりはない。控訴審でも、あらゆる角度から検討を重ねてほしいとの裁判員の思いが、説諭に込められたのかもしれない」と理解を示した。
昔、検察庁にいた当時、ある、難しい強盗殺人事件を担当し、最終的に起訴することになり、起訴状に署名しようとした際、その被告人が子煩悩で、まだ小学生の子供をとてもかわいがっていて、この起訴状に署名して起訴すれば、有罪になるだろうし、おそらく無期懲役刑になって、長期間、親子は離ればなれになるんだな、と思うと、すぐに署名する気になれず、少し間をおいて気持ちを整理してから署名したことがありました。
刑罰というものは重くても軽くても、受ける人に相応の影響を及ぼすものですが、その中でも、死刑は、生命を奪う究極の刑罰であり、考え抜いて死刑と決め言い渡していても、本当にこの判断は正しいのだろうか、どこかに間違いはないのだろうかと感じるのは、当然のことであり、控訴を勧めた裁判長の言葉に、私は、共感は感じても批判する気持ちにはなりません。判決の際に、こういった発言があった例は、多くはありませんが過去にもあって、裁判員制度特有のもの、という見方をするべきでもないと思います。
人が人を裁くことの難しさということを、改めて痛感しました。