墜落前の悲鳴「今も耳に」 日航機の管制官、沈黙破る

http://www.asahi.com/national/update/0810/TKY201008100270.html
http://www.asahi.com/national/update/0810/TKY201008100270_01.html
http://www.asahi.com/national/update/0810/TKY201008100270_02.html

これが最後の交信になった。
3分後、糸の切れたたこのように画面上を点滅しながら漂っていた機影が止まった。その場で十数秒間点滅した機影は突然、消えた。
体に電気のようなしびれが走った。薄暗い管制室は静まりかえった。背中越しに指示を送っていた上司も、先輩も黙っていた。30秒ほどして、上司に促されて呼びかけてみた。「ジャパンエア123、ジャパンエア123」。応答はなかった。

報道やインターネットで、管制官と乗務員のやり取りは何度も聞きましたが、こうして、当時の体験を記事で読むと、25年前の事故がまざまざと蘇ってくるような思いがします。管制官の声は、終始、冷静で、123便の乗務員にとって、生還へ向けての拠り所となっていたのではないかという気がします。
私は、当時、初めて司法試験の論文試験を受けた後、広島の実家に帰省中で、夕食をとりながら7時のNHKニュースを見ていたところ、終了間際に、レーダーから日航機の機影が消えたという第1報が流れて驚いたことが思い出されます。
あの日のあの瞬間に、突然消えた機影の彼方で、520名の生命が失われた重みということを改めて感じました。