日航機墜落事故24年で灯籠流し 遺族「帰っておいで」

http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009081101000988.html

黙とうの後、墜落時刻の午後6時56分の約20分前から遺族らは「また帰っておいで」など思い思いのメッセージを書き添えた灯籠を次々と川に流した。時折小雨が降る中、ぼんやりとした光が薄暗い川辺を優しく照らし、アコーディオンの音が響いた。

日航の経営陣として初めて参加した岸田清同社副社長は「(これまで)11日は遺族の方々が集まる日だと考えていた。加害者と被害者には越えられないものがあるが、人と人の心を交わらせたいと思った」と話した。

8月12日が来ると、あの未曾有の大事故のことが、昨日のことのように思い出されます。当時の私は、その年、司法試験を始めて受験した大学3年生で、自分の未来への期待、希望に満ちあふれた青年でしたが、24年が経過し、今では社会の片隅で細々と生活する、髪にも白いものが目立ち始めた、しがない中年の弁護士になってしまいました。とは言え、私は何とか24年を生き、墜落した日航ジャンボ機で犠牲になった人々に、この24年はなかったわけで、生と死というものの厳然たる差異を強烈に感じるものがあります。
あの事故は、元々、些細な尻もち事故に端を発し、その後の経緯につき異論はありますが、ボーイング社の修理チームによる修理ミスがあり、その後、それが発見できないまま日航が機体を飛ばせ続け、その結果、悲惨な大事故へとつながったもので、この一連の連鎖がどこかで断ち切られていれば、事故はありませんでした。その意味で、過失というものを考える上で、数々の貴重な教訓を残している上、背景には、特定の誰、というわけではありませんが、人間としての奢りや安全軽視、油断といった様々な普遍的な問題点が存在していたことも間違いないでしょう。
事故後、24年が経過した今、この事故が持つ意味、現在の我々に投げかけているものは何か、ということを、今一度真剣に考えなくてはならないのではないかと思います。