<足利事件>受刑者のDNA型一致せず…東京高裁に鑑定書

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090508-00000076-mai-soci

2人は弁護側、検察側がそれぞれ推薦した医師。弁護側によると、2人は異なる方法で鑑定を実施したが、いずれも結論は「遺留体液から抽出されたDNA型と菅家受刑者のDNA型は同一人物のものではない」との内容だったという。一方は7日までに高裁に提出され、残る一方は8日提出されたという。

事務所にあった

DNA鑑定 -その能力と限界-

DNA鑑定 -その能力と限界-

の146頁に、足利事件で行われたDNA鑑定が紹介されていて、その際に使われた手法では、当初の出現頻度が1000人に1.2人、その後の見直しの結果、1000人に5.4人とされたことが紹介されていました。見直し後の出現頻度によると、1万人で54人、10万人では540人ということになり、この程度の鑑定結果で同一性を認定してしまったことが、今となっては大きく反省されなければならないでしょう。勝又教授が、著書の題名に、敢えて「限界」と入れられているように、特に、初期のDNA鑑定では、限界を十分意識した謙抑的な評価が行われるべきところ、あたかも万能、絶対的な鑑定であるかのように独り歩きしてしまった側面は、やはりあったと言わざるを得ないと思います。
足利事件のDNA鑑定が行われたのと同じ時期に、徳島地検で勤務していた私は、ある事件で警察が行ったDNA鑑定の鑑定書を見たことがあり、今となっては記憶が非常に薄れていますが、おそらく足利事件と同じ手法に依っていたのではないかと思います。鑑定書を読んでいて、そこで示されていた出現頻度が、これだけではとても被告人と犯人の同一性は認定できないなと感じたことは記憶していて、その事件では犯人性に問題はなかったので、公判にその鑑定書は提出しなかったかもしれません。
過去の冤罪事件でも、鑑定結果が過度に信用され冤罪が生み出されてしまったことが指摘されていますが(いわゆる古畑鑑定など)、平成になっても、同様の過ちが繰り返されてしまったということは、深刻に受け止めなければならない問題ではないかと思います。