同級生の遺品ピアノに導かれ、御巣鷹へ…日航機墜落23年

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080809-00000024-yom-soci

江戸川区立第二葛西小で仁位さんの同級生だった田代佳幹(よしき)君(当時8歳)は、姉の香織ちゃん(同9歳)と両親の一家4人で、祖母が待つ和歌山に行く途中だった。一家全員が犠牲となった。
教室で隣の席だった佳幹君は、いつも友達を笑わせてくれるクラスの人気者。しかし、当時は突然の悲報を実感できなかった。佳幹君と香織ちゃんが家で弾いていたグランドピアノはその後、学校に寄贈され、校舎の第1音楽室で今も音色を奏でる。
学校では、十三回忌など節目の年に、事故当時の校長らが慰霊登山に行ったり、丹念に手入れを続けているグランドピアノを囲んでコンサートも開いたりしてきた。そのピアノの脚には、「いつまでも天までひびけ」のメッセージを刻んだプレートがある。

先日、書斎兼物置の引越の後、たまたま(私の手元にあったのは単行本でしたが)

墜落の夏―日航123便事故全記録 (新潮文庫)

墜落の夏―日航123便事故全記録 (新潮文庫)

が目につき、少し拾い読みしましたが、その中で、犠牲者の家族関係等が書いてあるところがあって、上記の記事にあるように、一家で乗り合わせていて犠牲になった例もかなりあるのが痛ましいと思いました。
グランドピアノを自宅で使用するような恵まれた家庭のお子さんですから、あの事故さえなければ、両親の愛に育まれてすくすくと育ち、幸せな人生を送っていた可能性が高いでしょう。日航関係者は、給料が下がったなどと文句を言いたくなったら、生きて文句が言える自分たちの幸せ、ということをよくよく考えるべき、という気がします。
間もなく、また「あの日」がやってきますが、私にとっては、何年たっても、あの衝撃が昨日のように思い出され風化することはありません。