昭和の名将と愚将

昭和の名将と愚将 (文春新書 618)

昭和の名将と愚将 (文春新書 618)

戦前の旧軍における将官が俎上に上り、対談の中でいろいろな角度から光があてられていて、戦史について詳しい人にも、そうではない人にも、それぞれのレベルで役立つ内容になっています。冒頭では、硫黄島で奮戦した栗林忠道兵団長が取り上げられています。
イージス艦「あたご」と漁船の衝突事故に関するニュースに接していて、しみじみと感じるのは、最新鋭のイージスシステムを備えている、などと言っても、小さな漁船1隻との衝突も避けられないのは、システムを運営している「人」に問題があり、システムを使いこなしていないからだろう、ということです。人ではできないこと、人の力を補助するものとして、科学技術の力を活用することは大いに行われるべきですが、決定的な勝利を手にする、重大な局面で適切な判断を下し危機を回避する、といったことは、やはり人の能力・識見といったことに大きく依存しており、そういった機能が低下すれば、日本の自衛隊のような、お金持ちのパパやママに何でも買ってもらい、何でも持っているが、自分では何もできない子供のような組織になってしまうのだろう、と思います。武器弾薬が乏しい中、日本の勝利を信じ、日本を守るという信念の下に、白刃を振るっての斬り込みなどあらゆる手段を講じ、玉砕すらせず孤島で奮戦した栗林兵団長以下の硫黄島将兵を思うとき、真の意味で必要なものは何か、ということを改めて考えさせられます。