昨日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」で、上記の問題について取り上げられており、担当ディレクター(昨秋に同番組で放映され、私も顔を出した「共謀罪」関係の特集と同じ人)から、事前に教えてもらっていたので、観ました。
町村教授は、
http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2007/05/tv_e18f.html
「正直がっかり」という感想を述べられていましたが、私の印象としても、やや総花的で掘り下げ不足、という感じはしました。
別に、私を出演させろ、という気は毛頭ありませんが、この問題について、意外と深く把握しているのは、現職検事や、私のような元検事かもしれません。そういった人々の声をもっと反映させれば、深みや違った視点が出たかもしれない、という印象は受けました。
この問題については、以前、
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20061209#1165638577
で、
人質司法を支えるものとして大きいのは、起訴された被告人の圧倒的多数が有罪になる現状、そういった現状を支え迅速な審理を可能にするためには、極力、身柄を解放することなく裁判所、検察庁が主導権を握りつつ物事を進めたいという裁判所、検察庁関係者の強い意思(裁判所、検察庁相互の暗黙の了解)、そういった状況を支える上記のような刑事訴訟法の規定、ではないかと思います。
とコメントしたことがありますが、公判立会検事にしても、また、裁判所にしても、保釈により身柄を失うことは、上記のような「主導権」を失うことにつながる、という意識が強く働く面はあると思います。これは、私自身の経験(公判立会検事としての)上も、強く感じます。こういった意識は、ベテラン裁判官、ベテラン検事であればあるほど、経験値が上がる中で強くなる傾向があり、特に高裁裁判官は、そういった意識を日本最高水準で持った人々なので、地裁が保釈許可決定を出しても高裁でひっくり返る、といったことが、よく起きることになります(典型的なのは、そういったことが繰り返された安田弁護士の事件でしょう)。
現状は、勾留され保釈が効かない「閾値」のようなものが上がりすぎていて、冤罪事例とか、身柄拘束が不要になっている被告人まで、泣く泣く入ってしまっている、ということが多くなりすぎていると言えるでしょう。
したがって、私が以前から言っているように、思い切って刑事訴訟法を改正してしまう、とか、何らかの方法で上記の閾値のようなものを下げる具体的かつ実効性がある改善策を講じる(起訴時に自白していれば原則保釈、否認事件でも第1回公判が終われば原則保釈等)といったことも、真剣に検討されるべきではないかと思います。