グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 文春新書 (501)

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 文春新書 (501)

今年の初めに、

を読んで、なかなかおもしろかったので、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070103#1167807465

上記の「グーグル」も、遅ればせながら読んでみました。
特に強く感じたのは、今後、ますます、あらゆる情報を集積し(インターネット上で閲覧できるようにしつつ)、あらゆる情報にインターネットを通じて接する、ということが発達し、グーグルがどこまでその世界で君臨するかはわからないものの、その可能性は大きい、ということと、そういった中で、ウイニー問題で出てきたような「刑事処罰」という手法は、やはり、謙抑的に使われなくてはならない、ということでした。
土曜日(17日)に、大阪で行われるウイニーシンポジウムには参加できそうなので、そこでの話も聞いて、また、改めて考えてみたいと思っていますが、情報の流通、仲介といった分野で、様々な問題が生じた際に、対処する方法としては、

1 人々に対する啓発、教育を通じたモラル、リテラシーの強化による
2 民事的な解決方法による
3 刑事処罰により解決を図る

という、大別して3つの方法があるのではないかと思います。1は重要ですが、これだけでは対処しきれない場合も少なくなく、2が必要という場合もあるでしょう。2のメリットは、問題を解決するスキームを作り出したり、そこに金銭的なものもうまく絡ませることで、情報の流通、仲介に関係する人々(それにより権利侵害を被る人を含め)が納得できる解決を目指せる、ということでしょう。
例えば、現在、注目されている動画サイトにしても、権利者に無断でアップロードされる、という状態がそのまま続けば単なる権利侵害でしかありませんが、アップロードの前後で権利者がきちんと関与でき、その承諾の下、閲覧による利益の一定割合が権利者にも確実にもたらされる、というスキームが確立できれば、関係者のそれぞれに、大きな利便性、利益がもたらされることにもなります。
しかし、3の刑事処罰ということになると、そういったウインウイン的なスキームでの解決を図る、ということは、そもそも無理で、ある一定の時点の、一定の局面だけを切り取って、「犯罪」と評価し、しかも、そういった犯罪行為を犯した人々をことごとく摘発することもできず、ごくごく一部の人だけを見せしめ的に摘発し、そのことで、一罰百戒的に「犯罪」行為を防止しようとする、ということになります。そこでは、必ず、著しく不公平な事態が発生します。
しかし、この手法は、上記のような情報流通、仲介の爆発的な発達、という流れに対し、萎縮的な効果をもたらすだけに終わる可能性が高く、問題の建設的な解決にもつながらない可能性が高いでしょう。先日、京都地裁で出たウイニー開発者に対する有罪判決を見るだけでも、そのことが強く実感されます。
今後は、インターネット上における情報の流通、仲介といった分野に関しては、刑事処罰は、児童ポルノなど、真に必要かつ放置できないものに確実に対処するにとどめ(それだけでも大変なことでしょう)、できる限り、上記の1及び2による解決を目指すことが必要ではないかと思います。そして、そういった大きな視野に基づく政策的、大局的な判断が現行の警察、検察当局にできないのであれば、それができる制度的な手当、ということも検討すべきではないか、と思います。
日本では、起訴、不起訴を決定する権限は検察官が独占的に有していますが(ごく僅かな例外はありますが)、事案によっては、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050720#1121806970

でも触れたような大陪審制度のような仕組みも導入し、捜査や起訴、不起訴の決定等に民意を強力に反映させる、ということも真剣に検討すべき時がきているように思います。
裁判員制度が話題になっていますが、国民の司法参加という問題は、裁判員制度が成功すればそれで終わり、という底の浅いものではありません。