圧力や思惑と検察(1)

ライブドア事件について、様々な憶測がささやかれているようです。それらが、真相を突いているかどうかはわかりませんが、検察庁と、様々な圧力、思惑との関係について、わかる範囲内で、若干、コメントしておきたいと思います。
まず、ある事件について捜査を行おうと決めたり、その後の捜査を続ける際に、何らかの圧力なり思惑が働くか、という問題があります。これについては、ある場合もあればない場合もある、と言うしかないでしょう。捜査の端緒というのは、様々であり、検察庁に情報を持ち込んで来る人なり組織に、特定の人や組織を打倒したい、という目的が存在している場合もあります。それが政治家やその支援者等であれば、政敵を倒したい、と思っている場合もあるでしょう。
最近、「国策捜査」ということが、よく言われるようになりましたが、社会的な影響が大きく、刑事事件としての捜査も必要、という世論が盛り上がってきて、検察庁を含む捜査当局に対して、上層部から捜査が指示される、ということも、確かに起きています。例えば、平成8年に、住専住宅金融専門会社)関係の不正融資に対する捜査が行われ、逮捕されたり起訴された人が出ましたが、多額の(と言ってもその後の投入資金額に比べればそれほどでもありませんでしたが)公的資金投入にあたり、世論も沸騰し、東京地検特捜部等の捜査機関の中でも、一種の国策捜査の一環として、専従の捜査チームが作られ、捜査に従事していました。
ただ、こういった様々な力が働いて、捜査が開始、継続されるとしても、少なくとも、検察庁の捜査については、「モノになる見込みがない事件には手をつけない」ということは言えると思います(正式に告訴・告発が出て捜査を行うしかない場合は例外ですが)。
検察庁が捜査に投入できる人員は限られており、モノにならない事件に、それとわかって人員を投入するということは無理であり、また、証拠評価、事件の見通しについても、かなりシビアに見ますから、様々な思惑等に「屈して」モノにならない事件に取り組む、ということは、通常の捜査活動としてはあり得ないと言ってよいと思います。

(続く)