首相偽装献金「量的制限」でも捜査 平成16〜20年に毎年1千万円超える

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091029-00000510-san-soci

鳩山由紀夫首相の資金管理団体友愛政経懇話会」をめぐる偽装献金問題で、偽装献金の原資とされる鳩山氏の個人資産が、少なくとも平成16〜20年の5年間で毎年1千万円を超えていたことが28日、関係者への取材で分かった。政治家本人が1年間に献金できる上限を1千万円と定めた政治資金規正法の「量的制限」に抵触しており、鳩山氏の元公設第1秘書が、上限を超える鳩山氏本人の献金を隠すために偽装献金を行っていた疑いが浮上した。

東京地検特捜部も、総額で2億円近くに上る見通しとなっている政治資金収支報告書への虚偽記載の動機が、量的制限違反を免れるためだった疑いがあるとみて捜査を進めている。

刑法で、「行政犯の自然犯化」といったことが言われることがあり、例えば、脱税は、かつては行政犯として比較的軽く取り扱われていた側面がありますが、次第に、「納税という国民の義務を怠った許し難い犯罪」という側面が強調されるようになり、自然犯化して、実刑や高額の罰金刑も科されるようになってきたという経緯があります。形式犯の実質犯化と言ってもよいでしょう。
政治資金規正法違反事件にも、似たような側面があり、かつては「ザル法」などと言われ、検察庁も、単なる形式犯としてスピード違反や駐車違反程度にしか考えていない側面がありましたが、最近は、法の整備や規制強化の中、また、贈収賄罪の立件が困難になる中で検察庁の存在意義を示したいという思惑もおそらくあって、実質犯という捉え方が強くなり、先日の小沢氏秘書の事件に見られるように、検察庁が総力を挙げて立件、起訴する(国策捜査かどうかはともかく)という流れになってきています。
鳩山首相の、上記の記事にもあるような事件の場合、「実質犯」という捉え方ができるかどうかが、起訴価値の評価につながってくるのではないかと思います。小沢氏の秘書の事件では、真相はともかく、検察ストーリーとしては、企業献金の量的制限を免れるため迂回献金を行った、企業が献金する以上、そこには贈収賄類似の構造があったはずだ、ということであったものと推測されますが、鳩山首相の事件では、政治家が身銭を切っていて、そこに贈収賄的な構造を見いだすことは困難であり、実質犯ではなくやはり形式犯という色彩が濃厚でしょう。
その割には、マスコミ、特に検察庁に近いマスコミがこの事件を大々的に取り上げる傾向がありますが、そこに、法務・検察側の、取調べの可視化、死刑問題等々、民主党政権下で従来の方針を大きく転換することを強く求められる可能性が高い中での、誰かの何らかの思惑を感じるのは、勘ぐりすぎなのでしょうか?