刑事司法における検察官の役割

堀江貴文氏のブログを読んでいると、時々、検察官は公訴官に徹するべきである、ということが書かれています。同氏と私の意見はかなり異なる点が多いのですが、なかなか鋭く問題の本質を突いてきているな、と感じることがあって、この点もその1つです。
戦後の検察の歴史の中で、昭和30年代あたりに、検察官は公訴官に徹するべきである、といったことが議論されたことがあったと言われています。しかし、検察官は捜査から手が引けずに現在に至っています。その理由を、大きなところで考えてみると、
1 警察捜査が、特に知能犯捜査の分野で、完結した十分なものにはなり得ず現在に至っていること
2 証人が公判で証言を翻した場合に、検察官調書があれば一定の要件の下、証拠能力が認められる制度になっていて、検察官による重要な証人への取調べが避けて通れないとして現在に至っていること
3 裁判所が警察には不信感を持ちつつ、法曹である検察官(特に検事)には信頼感を持っている面があり、警察捜査の上塗りであっても検察捜査を経ているということが事件への信頼感を出すという感覚が実務を支配していること
といった点が指摘できるのではないかと思います。
しかし、捜査に緻密さが求めら度合いが高まれば高まるほど、絶対的な人員不足の検察庁に過大な負担がかかることになり、現在は、従来の過大な負担の中、裁判員制度まで始まり、組織として負担に耐えられる限界に達していると言っても過言ではないでしょう。
今後の方向性としては、急激に公訴官に徹することが無理であるとしても、公訴官であるということを基本として、無理のない範囲内で、限定的かつ緩やかに捜査にも関与するという、準公訴官モデルといったものを構築する必要があり、そのためには、
1 ごく一部の凶悪事案、重大事案を除き、捜査は警察の全面的な責任において行い、上塗り捜査は行わない
2 供述調書の証拠能力に関する規定を改正し、警察調書を踏まえた上で、検察官が証人に対する取調べを行った場合、警察調書及び検察官取調べの際の録画・録音(すべての過程を録画・録音することを前提とする)は、一定の要件の下で証拠能力を認める(警察送致・送付事件で、基本的に検察官調書は作成しない)
3 有罪になる確実な見込みがなければ起訴しないという運用を改め、有罪判決が獲得できる蓋然性があれば起訴し、検察庁のみの恣意的な判断による不起訴を避け、裁判所の判断を仰ぐことにする
といったことが必要でしょう。検察官が捜査に介入しなくなれば、今までのように、捜査に大きく関与し細かく心証をとって起訴、不起訴を決めるということは困難になります。そのため、上記の3のような運用をしないと、本来、起訴されるべきものが不起訴になる、ということが続出しかねず、運用の改革も避けては通れなくなるでしょう。
こういった改革の中で、検察官は、公訴官の立場から、今後、導入される可能性が高い刑事免責や司法取引といった制度を活用し、重要証人については、裁判所に対し捜査段階における証人尋問(既に刑事訴訟法で規定あり)を求めるなど、限定的かつ緩やかに捜査にも関与するというのが、今後、進むべき方向ではないかと思います。
その場合、現行の東京地検特捜部や各地の特別刑事部など、独自捜査を行っている捜査機関をどうすべきかという問題がありますが、知能犯捜査について、警察と検察庁で重複した捜査機関が存在するというのは無駄であり、新たにFBI型の捜査機関を設立し、現在は特捜部等で机を叩いたり怒鳴ったりしている検事は、「捜査官」としてそちらに取り込んでしまい(それが嫌なら検察庁に残って公訴官に徹する)、警察と検察庁を融合させた新たな捜査機関として再出発するというのが、一つの有効な方法ではないかと思います。
今週のメールマガジンでもコメントしましたが、民主党政権下での今後は、捜査に大きな変革をもたらす好機でもあり、日本の刑事司法をより良くするための絶好の機会が到来したと捉えるべきではないかと私は考えています。