「毎日かあさん」論争、表現の自由か教育的配慮か


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050831-00000106-yom-soci

この問題は、従来、「フィクション(モデル小説)における名誉毀損等の成否」という形で論じられてきたところだと思います(五十嵐清「人格権法概説」86頁以下でわかりやすく説明されているので、興味がある方は読んでみてください)。
作者や、作品が掲載された新聞社は、「フィクションである」と主張しているようですが、内容面で、虚構と事実が明確に区別されているかどうかが問題になるでしょう。そこが明確に区別され、かつ、事実の部分で、特定人や特定の組織の社会的評価を低下させるような内容がなければ、名誉毀損にはなりませんし、ことさらな人身攻撃にわたるような場合を除き、侮辱にもならないでしょう。すべてにわたり明らかに虚構(フィクションそのもの)であれば、もとより、名誉毀損・侮辱の問題は生じません。
これに対して、虚構と事実が明確に区別されておらず、内容自体が、実在する特定人や特定の組織を容易に想起させるようなもので、かつ、そういった人・組織の社会的評価を低下させたり、人身攻撃にわたるような内容になっている場合は、名誉毀損・侮辱になり得るでしょう。何らかのモデルが存在する作品の場合、モデルの側から、名誉毀損・侮辱であるという主張が出る場合があり、その場合、上記のような点が問題になってきます。
もちろん、公益性や公共利害性、真実性や真実誤信相当性といったことも、併せて問題になるでしょう。作品の内容によっては、プライバシー権侵害も問題になってきます。
上記のニュースでは、

市側は、「他の児童や保護者への配慮をお願いした」「作品中に『武蔵野市』の固有名詞もあり、児童の人権に教育的配慮を求めることは当然」などと、8月までに2回、文書で回答した。

とあり、表現の自由に対する「対立利益・権利」として、具体的に何が問題とされているのか判然としませんが、単に「愉快ではないので配慮してください。」では表現の自由を制約する根拠にはなりませんし、権利主張をしたいのであれば、具体的に権利内容を特定した上で、なぜ、その作品が権利を侵害し表現の自由としても許容されないのかを具体的に主張すべきだと思います。