ロースクールと司法試験について

小倉弁護士が、10月26日のブログ

http://benli.cocolog-nifty.com/benli/

で、「責任転嫁の見本」としての緊急声明、というテーマで、なかなか厳しいご意見を明らかにされています。
ところで、先日、このブログで、私が、

「どの段階で、どのような基準で引導を渡すのがもっとも人道的なのか」に関連して
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20041023

で述べたことについて、あるロースクール生(既習コースとのことです)から、メールをいただきましたので、その要点部分を、その方の許諾を得て引用しますと、

現行試験受験者は、普段の勉強において択一試験の対策を質的、量的にも十分に講じることができます。
それに対し、ロー生はまったく関係のない勉強を大量にやらされ(民集の1審から最高裁までの読み込みや各種判例評釈、レポート作成、発表その他。試験に対する費用対効果は非常に悪いです)、現行択一試験対策という点で圧倒的に不利な状況におかれています。
100%試験対策できる者と、関係ないことに多くの労力をかけざるを得ない者、どちらが勝つかは明白でしょう(天才は別として)

とのことでした。
先日、私が述べたことは、現在、報道されているような配分よりも、新司法試験合格者のほうに、より傾斜して合格者数を配分しつつ、現行司法試験受験者に、優秀性の点で劣っていないということを担保するため、択一試験については新旧司法試験で共通として、新司法試験合格者も、択一試験で現行司法試験と同等の成績を残したことを前提に、上記のような傾斜配分を行う、というものでした。
一つの考え方ではあると、今でも思っていますが、メールでのご指摘のように、試験準備という点で、差が出ることは十分考えられます。もし、私が提案しているようなことが実施されることがあれば(困難とは思いますが)、そういったハンディも考慮に入れて、新司法試験受験者の択一合格最低点を、現行司法試験合格者よりも若干下げる、といった程度の現実的な対応は必要かもしれません。
それとは別に気になったのは、メールの中の、

ロー生はまったく関係のない勉強を大量にやらされ(民集の1審から最高裁までの読み込みや各種判例評釈、レポート作成、発表その他。試験に対する費用対効果は非常に悪いです)

という点。
これは、最初に挙げた小倉弁護士のブログでも引用されている
新司法試験のあり方に関する緊急声明
http://www.sihoukaikaku.jp/press/kinkyuu.htm
の中でも、ロースクール教育について、

新司法試験の合格者が、法科大学院修了者の3割あるいは2割しか合格できないということになれば、法科大学院はプロフェッショナル・スクールとして成り立ち得なくなり、その教育は、新司法試験を強く意識した「受験教育」へと変質しかねない。
 その結果、21世紀の司法を担う法曹に必要な資質とされた、「豊かな人間性や感受性、幅広い教養と専門的知識、柔軟な思考力、説得・交渉の能力等の基本的資質、社会や人間関係に対する洞察力、人権感覚、先端的法分野や外国法の知見、国際的視野と語学力等」(意見書)を修得する教育や、クリニックやエクスターンシップなどの臨床・実務教育は、早晩、顧みられなくなるであろう。

とされていて、非常に優れた教育が実施されている(その対極にあるものが「受験教育」ということになるでしょう)、ということが、当然の前提のように語られています。
しかし、本当に、そんなに優れた教育が実施されているんですか?今のロースクール教育で、本当に優秀な法曹が育つんですか?ということも、きちんと検証される必要があると思います。
確かに、判例を大量に読むとか、レポートを作成して自分の考えを展開してみるとか、そういった勉強が有用であることは否定しません。しかし、いくら中身のある勉強をしても、司法試験に合格しなければ、法律家として世に出ることはできません。ロースクールが、司法試験に合格するだけの知識、論理力、分析力などを学生に身につけさせるのは、決して少額とは言えない学費をいただいている以上、一種の義務とも言えるでしょう。現在のロースクール生の不満として大きいのは、私にメールをくれた方のように、司法試験合格ににつながるとは考えられない勉強を「やらされて」多くの時間をとられ、おそらく、そのような勉強をしたことにより何か有益なものが残ったという実感もなく、空しさ、徒労感だけが残り、ますます焦燥感が募ってくる、ということではないかと思います。
私が司法試験受験生の時の経験に照らすと、法律科目に関する知識や理解が十分でないまま、長い判例をひたすら読んだり、それについて討論したりしても、無駄とは言いませんが、あまり残るものはないと思います。何か残るような勉強として、そのようなことをやるのであれば、自分なりに興味を持って自発的に調べてみて、その中で縦に横に伸ばすような勉強でないと駄目で、「やりなさい」と言われてやるような勉強では身に付かないと思います。例えて言えば、自動車の運転免許も取得していなくて運転の基本動作が学べていない人が、ラリーとかF1レースに出るようなものでしょう。
法律に関する知識や理解を、体系的、網羅的に学生に身につけてもらう、ということが先決で、学生の理解度も見ながら、さらに高度な応用も、といった教育にしないと、教員の単なる自己満足に終わってしまう恐れもあると思います。現状では、各教員が、完全に「野放し」状態で、言葉は良くないですが、学生が一種の「モルモット」状態で実験材料に使われている側面がある、といっても過言ではないでしょう。
どうも、現在のロースクールで行われている教育は、理想(それも、法曹教育に実績がある人の現実性のある理想ではなく、法曹教育に携わった経験もないまま自分勝手な理想を思い描いたり、日本以外の国の同種の教育機関で行われている方法を無批判に受容した上で理想を思い描くなど)が先走り、ロースクール生が法曹として世に出るためには司法試験合格が至上命題であることが、軽んじられているような気がしてなりません。
司法試験合格者を迎え入れる側(司法研修所最高裁法務省司法修習生の教育に協力する実務法曹)からすれば、実務家としてやって行ける見込みのない人々を迎え入れる義務もないし、そういう人々が実務家になってしまうと、本人が苦労するだけでなく、関わり合いになる国民にも多大な迷惑がかかるので、いくら3000名が既定方針とはいえ、当然、厳しく選別されることは避けがたいでしょう。
「新司法試験のあり方に関する緊急声明」について、私は、ロースクール関係者だったらこう言うしかないだろうな、あせっているんだな、と、同情的(?)な見方をしていますが、どうも、読んでいると、私がここで指摘しているような問題意識、自覚や反省が欠落しているように思えてなりません。そういった問題意識、自覚や反省、現行のロースクール教育の見直し、改善ということを本気で行なわないと、それでなくても、既に司法試験受験予備校のほうがマシだと陰口をたたかれている状態が、今後も続くでしょうし、ロースクール生自体からも見放され、正に「自滅」の道を歩むことになるでしょう。