「ここにいた人たちは、もう疲れることもできない」520人が犠牲になった日航機墜落事故 38年前の夏、20代だった記者は「御巣鷹」の急斜面を歩き続けた

「ここにいた人たちは、もう疲れることもできない」520人が犠牲になった日航機墜落事故 38年前の夏、20代だった記者は「御巣鷹」の急斜面を歩き続けた(47NEWS) - Yahoo!ニュース

一帯は、ただただ黒かった。木々の燃えかすと、まだ運び出されていない焦げた機体の一部。墜落による火災が完全に鎮火していないのか、ところどころ煙がたなびいていた。火災現場は何度も経験し、特有のきな臭さや焦げ臭さには慣れている。しかし、ここでは経験したことのない臭いがあたりを覆っていた。

あの日、私は大学3年生で、前月に司法試験の論文試験を受験した後、広島の実家に帰省中でした。暑い日であったことが思い出されます。テレビを見ていると、19時半前くらいに事故の第一報が流れてきて、その後、各局は特別番組体制になり、私も深夜までテレビを見つつ事故の様子を追っていたことが思い出されます。

事故後、38年の日本、世界にはいろいろなことがありました。日本も世界も随分と変わりました。しかし、あの日、逝った人々はあの日のままの姿で人々の脳裏に残っています。歳月の流れと変わらぬ哀しみを感じます。