中華航空機事故から20年

http://news.infoseek.co.jp/article/140426jijiX240

当時、私は名古屋地検刑事部検事で、この事故が起きた当夜、仕事の後、名古屋の栄にある簿記学校へ行って簿記の勉強をしていて、刑事部長は事故現場に私を派遣して報告を求めようと連絡を取ろうとしたのですがまだ携帯電話が普及していない頃で連絡がつかず、後輩の検事が派遣されたと翌日になって知りました。
その検事に聞くと、うらめしそうな顔で、悲惨な事故現場でしたと言っていたのが今でも思い出されます。
あれから20年が経ったのだなと、その当時ことを思い出しつつ、時の流れの速さを感じます。
着陸時に、エアバス機の自動操縦機能と操縦士の手動操作がバッティングしてしまったことで、機首が急激に持ち上がり、失速して墜落という特異な事故で、最後の瞬間には、急激に機首が持ち上がり機内の人々は何が起きたかわからないまま、ただ驚愕と恐怖の中で最期を迎えたはずで、ご冥福をお祈りすることしか、今の私にはできません。
この事故の原因は、単にこの事故だけの、特殊な問題ではなく、普遍性を持つもので、再発防止のため、貴重な教訓として長く伝えられなければならないと思います。
事故が起きた当時の名古屋空港から、今は中部国際空港へと、中部地方の旅客輸送の主役は変わりましたが、亡くなった方々の魂に、遥か上空から、人々を見守り安全へと導いてほしいという気がします。