社説[県民大会浮上]根っこに強い不公平感

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130403-00000007-okinawat-oki

県民が政府主催の記念式典に強い違和感を抱いているのにはいくつかの理由がある。

講和条約第3条に基づく米国の沖縄統治は、沖縄を「制約のない基地」として確保する必要から生み出されたもので、この状態は、復帰の時点で解消されるべきであった。だが、そうはならなかった。基地の事実上の自由使用が復帰後も続き、返還も遅々として進まなかった。

沖縄にだけ基地を押しつけているという不公平感と、問題解決が一向に進まないという不全感。沖縄の多くの人たちは、現状を理不尽だと受け止めている。政府は偏見をもたず、謙虚に住民の声を聞き、早急に不公平感や不全感の解消に努めるべきである。

歴史の教科書に書いてある通り、サンフランシスコ講和条約は、日本と戦争状態にあったすべての国とあまねく講和を結んだもの(全面講和)ではなく、東西冷戦構造の中、部分講和にとどまっていた上、同時に発効した当時の日米安全保障条約では、米国は沖縄等で大規模に基地を使用しながら日本防衛の義務を負わないことになっていて、一応は主権を回復したものの、沖縄問題など多くの課題を残したままの、片肺飛行的な主権回復であった、というのが実情ではなかったかと思いますね。様々な議論を経た上での苦渋の選択であったわけで、「主権回復」というところだけを捉えて、それも急に、政府が祝い出そうとすれば、ちょっと待てよ、という人が大勢出てくるのも無理からぬことでしょう。
特定の考え方、歴史観に乗っかって、反対を押し切って唐突に祝い始めるようなことではなく、記念する、というのであれば、課題や残された問題が多いままでの主権回復であった、という歴史を客観的に見つめ、当時から今に至るまでの経緯を振り返り、今なお、尾を引いている問題を解決するにはどうすべきかを冷静に考える、そういう記念日にすべきではないか、という気がします。