近く父と遠方に参ります 大石主税、討ち入り前に書状

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100130-00000022-san-soci

書状のあて先は、高取藩2万5千石の筆頭家老、中谷(なかねや)清右衛門の妻、香(こう)。主税の母、りくの叔母にあたる。元禄15(1702)年の「閏(うるう)八月廿七(二十七)日」と日付が記されており、主税は前年末に元服したばかりの15歳(数え年)だった。
「仰せのように、私は近いうちに父内蔵助と同道し遠方に参ります。それにつきまして、まことに結構な品をお送りくださり、かたじけなく思います」と丁寧に礼を述べている。「結構な品」の内容は不明だが、父子の江戸入りを香が知って贈り物をしたことが読み取れる内容。極秘とされた討ち入り計画が、親族にはほのめかされていた実態がうかがえる。
書状は「ことのほか取り込んでいますので、簡単に申し上げたようなことです」と結んでおり、江戸入りについての直接的な言及を避けながらも、忙しく準備を進めている様子をにおわせている。

大石内蔵助は、討ち入り前に妻りくを離縁していたはずで、討ち入りについては、少なくとも近い親族は知っていたと見るのが自然でしょう。かわいい甥である大石主税に、もはや戻ってこないということを知った上で、何かはわかりませんが、心のこもった品を贈った、その心情を思うと、心打たれるものがあります。大石主税としても、親族が予め討ち入りを知っていたということにならないように、ぼかした表現をとったものと思われます。
「南部坂雪の別れ」で(史実ではないようですが)、大石内蔵助瑤泉院に、仕官することになり西国へ行くことになった、などと偽りの報告をしてなじられるシーンがありますが、「遠方へ行く」というのは、討ち入り前、それと知っている人に対しても知らない人に対しても、永遠の別れを告げるにあたり赤穂浪士の間で使われていたのかもしれません。義に生きて後世に不朽の名声を残した人々がしのばれます。
今後、忠臣蔵をドラマ等にする場合は、上記の記事にある史実も入れてもらいたいものです。