産科医表情硬く 患者へ深々と謝罪 大野病院事件

http://www.kahoku.co.jp/news/2008/08/20080821t63035.htm

立件への反対を明確に表明した医学界の後押しもあり、弁護側は周産期や病理の権威と目される研究者を次々と証人に立てて反証した。
一方で検察側は周産期の専門家を証人に立てられず、十分な立証ができなかった。象徴的なのが、剥離でのクーパー(医療用はさみ)使用の是非だ。冒頭陳述では過失の柱だったが、捜査段階で使用に否定的だった検察側証人が公判で証言を翻し、検察側は結局、論告で過失から外した。
主張に沿う鑑定や証人を十分に集められなかった検察側は立証不足と批判を受けるが、立件に反発して高い壁を築いた医学界はどうだったか。
捜査段階で福島県警は周産期学会の幹部に鑑定を依頼したが、多忙を理由に断られた。この幹部は公判で弁護側証人として出廷し、「診断は慎重で間違いはない」と証言した。もし捜査段階で同様の鑑定があれば立件されなかった可能性もある。医師擁護で結束した医学界だが、無実の証明のためにも捜査への前向きな協力姿勢が必要だったのではないか。

無罪事件である以上、捜査が不十分であったのではないか、という反省は当然なされるべきですが、上記のような経緯は、「検察捜査はいかにあるべきか」という普遍的な問題も含んでいるような気がします。
警察から送致があった事件について、例えば「過失」認定に沿う証拠(上記のような「検察側証人」)が存在していても、公判で、それを強く否定するような証拠(上記のような「周産期や病理の権威と目される研究者」「周産期学会の幹部」)が出現する可能性があれば、起訴の前に十分、慎重に検討しておく必要があるでしょう。警察捜査では、そういった証拠は十分検討されないまま放置される傾向がありますが、検察捜査では、「公判を維持できるか」という観点から、そういった証拠の存在、公判で出現する可能性があるのに放置する、ということがあってはならない、というのが健全な実務感覚だと思います。
捜査への協力が得られなければ、その内容如何では不起訴処分もあり得ることを検察官から十分説明して、できるだけ網羅的な証拠収集に努めるべきであり、最後の手段としては、刑事訴訟法上、

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犯罪の捜査に欠くことのできない知識を有すると明らかに認められる者が、第223条第1項の規定による取調に対して、出頭又は供述を拒んだ場合には、第1回の公判期日前に限り、検察官は、裁判官にその者の証人尋問を請求することができる。

という規定の活用ということも、検討されるべきではないかと思います。そこまで行く前に、捜査段階から弁護人がついているのであれば、弁護人に告げ、消極意見の専門家の意見書といったものを提出してもらう、という方法もあり得ます。検察官を、捜査における裁判官的な地位に見立て、攻める警察と守る弁護人の3面構造で捜査を見て行こうという考え方は、少数説にとどまっていますが、実務上の検察官の在り方としては、そういったスタンスで物事を見るべき場合があり、警察と同じノリで行け行けドンドン、というだけでは駄目、という場合もあります。
警察捜査の上塗りに終わり、有罪判決に消極方向に働く証拠の検討が十分でないままでしか起訴ができない検察庁というものは、検察庁として存在している意味がなく、そういうことしかできないのであれば、警察署長や都道府県警察本部長等の判断で起訴、不起訴を決めれば済むことです。なぜ、わざわざ多額の国費を費やして検察庁という組織が設けられているのか、ということを、改めてよく考えてみる必要があります。
その意味で、大野病院事件の捜査、特に検察捜査に不備はなかったか、ということについては、今後の教訓としても、十分反省される余地があるのではないか、という印象を受けます。