裁判員制度―裁判官も公判には白紙で(12月26日・朝日新聞社説)

http://www.asahi.com/paper/editorial20081226.html

だが今回の事件で一審の裁判官は、公判前整理手続きの段階で判決に至る道筋まで決めようとして、争点や証拠を絞り込みすぎたのではないか。
裁判員制度は、事実認定や量刑判断に市民の多様な意見を反映させるのがねらいだ。
裁判員には、市民なら審理に必要と考えるような争点や証拠も提示すべきだ。公判前の段階で裁判官が事件について一定の見方に沿って証拠を絞るべきではない。裁判官の役割は当事者の主張のいわば交通整理であるはずだ。
裁判官は初公判に、裁判員とともに白紙の状態で臨む。そうした心構えがなくては、裁判員制度は絵に描いた餅になってしまう。

広島で発生した女児殺害事件で、広島高裁が、原審の訴訟手続を批判して破棄、差し戻したことについて論じられていますが、公判前整理手続が採用されたことで、従来の「白紙で臨む」という予断排除原則は修正されているということは指摘できると思います。その意味で、社説の最後の部分は、「心構え」とはされていますが、ややミスリーディングな印象を受けますね。
大きめの事件で公判前整理手続を経験した立場から言うと、主張、立証すべき責任を、まず全面的に負っているのは検察官ですから、裁判所としては、公判前整理手続の段階で、検察官に主張を十分行わせ、そのための立証計画をきちんと提示させて、必要な主張、立証であれば、裁判員に負担がかかるから、時間がかかるから、といった都合で安易に制限すべきではない、ということが言えると思います。それは、被告人、弁護人側の主張、立証についても言えることで、双方の主張、立証を明確にし、かみ合わせるためには、公判前整理手続のためそれなりの時間がかかることを嫌がってはならないでしょう。
さらに、公判前整理手続を経て公判が開始されても、予想していなかった新たな争点が出てきたり、新たな証拠を取り調べる必要性が生じるという場面も出てくる可能性があります。そういった場合も、期日間整理手続を入れるなどしつつ、新たな争点について慎重に検討し必要な証拠を取り調べるということを厭うべきではないと思います。
既に最高裁は内部でやっているはずですが、公判前整理手続の失敗例は貴重な教訓として分析され今後に生かされるべきで、分析、検討結果というものが、何らかの形で公表され法曹関係者の参考に供されることが必要ではないかと思います。