ペルー人被告、二審へ差し戻し=供述調書不採用は「適法」−広島女児殺害・最高裁

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2009101600616

二審広島高裁は、一審が調書を取り調べなかった点について、「争点が不明確なまま公判前整理手続きを終え、審理を尽くさず違法」と判断。上告審では整理手続きのあり方が争点になっていた。
同小法廷は、公判前整理手続きが導入され、連日開廷が原則とされた刑事裁判について、「合理的期間内に審理を終えることが強く求められる一方、検察官や弁護人の主張を踏まえ、真相解明のための立証が的確になされるようにする必要がある」と述べ、裁判の『当事者主義』を前提に、迅速な審理と真相究明の両立を図るべきだとした。
その上で、二審が「調書を採用していれば犯行現場が特定できた可能性があった」としたことに関し、当事者の検察官が現場特定に調書が必要と主張しなかった以上、不採用に違法性はないと判断した。

最高裁のサイトに判決全文がアップされていたので読んでみましたが、

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20091016161805.pdf

従来の実務感覚に照らすと、被告人の捜査段階の供述調書が存在する以上、その任意性をきちんと判断し、採用した後も、その信用性について慎重に評価を加えた上で、犯行場所はどこかという、事件の基本的な問題について正面から判断すべきであり、それがされていないまま、高裁に量刑不当の有無を判断しろはないだろう、という高裁の判断もわからなくはないな、という気がしました。
ただ、立証について、まず責任を持つべき検察官が、問題となった供述調書により犯行場所を立証しようという確固とした立証計画、立証意図を持っていなかったことは、経緯から見て明らかで、それにもかかわらず検察官がこだわっていなかった点までこだわってしまうというのは、やや職権的過ぎるという印象は受けるものがありました。特に、裁判員制度、公判前整理手続ということになれば、検察官が従来にはない柔軟な対応をする、という場面も多々出てくるはずですから、そこに、高裁が職権的に介入するということが次々と起きてくれば、制度の趣旨が没却されてしまうことになりかねないでしょう。
私自身の感覚としては、原審の広島高裁のそれに親近感を感じるものもありますが、そういう感覚では裁判員裁判、公判前整理手続は成り立たないよ、という、最高裁による教育的(?)判決という側面があるのかもしれません。

追記:

判例時報2061号148頁