昭和天皇の戦中生活描く 海軍侍従武官の手記発見

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008042990070501.html

生活ぶりは「何事にも堅実簡素を尊ばれる」とし、好況の当時でさえ食事は「白米は召し上がらず、七分づきのご飯に一汁二菜、お香物位で、皆が想像するように、山海の珍味を並べる王者のお食事とは全く違う。私は金持ち連中は少しは自重しろと憤慨した」。
下着も「すっかり切れるまで洗濯して召される」。ぜいたく品は使わず、品質が悪くても国産品や代用品を利用、腕時計は国産のニッケル物。写真を見る際は「包装やアルバムの体裁などは何でも良く、仰々しいのを殊にお嫌いになった」と明かす。
軍服姿の真夏の執務でも扇風機を使わず、冬の葉山御用邸の滞在は「御避寒」とされていたが「実際は筑波おろしの寒風を突いて連日荒けた海上にお出ましになる御鍛練であって(生物研究の)御趣味でなければ決してできない」と振り返る。

山澄貞次郎氏によるものということですが、間近で昭和天皇に接していた人物によるものですから、知られざる昭和天皇の姿が綴られているのではないかと思います。
昭和天皇の質素さは、最近明らかになった側近の日記やメモにも書かれていますが、幼少時に、乃木希典の薫陶を受けたことによる影響が非常に大きいのではないか、と私は感じています。司馬遼太郎

殉死 (文春文庫)

殉死 (文春文庫)

にも、明治天皇に殉じて自決する直前の乃木希典が、幼少時の昭和天皇に書籍を献上するシーンが出てきます。
こういった昭和天皇のお姿は、昭和天皇の生前を知る国民の胸に深く刻み込まれている面があって、それが、皇室の伝統になるとともに、無言の圧力、重荷になっている面もあるのではないか、特に雅子皇太子妃にとっては、という気がします
今日は、昭和当時の「天皇誕生日」ですが、在りし日の昭和天皇のお姿が思い出されます。