書籍]三笠宮ご夫妻、母・貞明皇后の思い出や終戦秘話を語る

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070708i304.htm?from=rss[

御前会議でポツダム宣言の受諾が決まった1945年8月14日の夕、三笠宮さまは宮邸に阿南惟幾(あなみ・これちか)陸相の訪問を受け、「陛下が降伏の決意を翻(ひるがえ)し、戦争を継続していただくよう申し上げて」と懇願された。
三笠宮さまはその時のことを「温厚な顔つきや話し方を聞きながら、陸相が侍従武官をしていたことを思い出してね。陛下をかわいいわが子のように思っているのではないかという印象を受けたものでした。要請は受け入れるわけにはいきませんでした」と振り返られている。
阿南陸相が「一死以て大罪を謝し奉る」と書き残して自決したのは数時間後。百合子さまは「なんともお寂しそうな後ろ姿で、こちらまで感傷的になったのを忘れられません」と語り、昭和天皇の元を訪ねようとする三笠宮さまを御附(おつき)武官が止め、玉音盤争奪騒動に巻き込まれずに済んだことを明かされている。

母宮貞明皇后とその時代―三笠宮両殿下が語る思い出

母宮貞明皇后とその時代―三笠宮両殿下が語る思い出

で紹介されている、とのことで、早速、アマゾンで購入の手続をしました。
たまたま、以前に本ブログでも紹介したことがある

私の「昭和の戦争」

私の「昭和の戦争」

を通読しようと思い、読んでいて、ほぼ読み終えるところでしたが、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070505#1178351695

で少し触れたように、その中に収録されているインタビューで、当時の阿南陸相秘書官林三郎氏は、8月14日午前の御前会議で戦争終結の決定が下された直後に、阿南陸相から「東京湾近くに来ている、米軍上陸船団に対して打撃を与えてから、和平に入る案をどう思うか」と尋ねられたエピソードなどを紹介した上で、

陸相の気持ちは御前会議の決定に決然と従うまでには整理されておらず、まだ大きく揺れ動いているな、と直感しました。
(同書133ページ)

陸相の心境を察すると、最後の最後まで気迷い状態が続いていたような気がしてならなかったのですよ。
(同書134ページ)

と述べていて、三笠宮殿下が述べられている上記のエピソードも併せ読むと、やはり、阿南陸相は、最後の最後まで迷っていた、というのが真相ではないかと思いました。
上記の林氏は、インタビューの最後で、

いま当時を追想しますと、破局寸前の危機に処して、職責上の重圧や建て前論や希望的観測や面子などの一切を抑え、大局的で客観的な判断を下すことの至難さを、私は改めて痛感している次第です。
(同書135ページ、136ページ)

と述べていますが、私自身も、三笠宮妃殿下が回想されている、帰り際の阿南陸相が「なんともお寂しそうな後ろ姿で、こちらまで感傷的になったのを忘れられません」という状況を思いつつ、林氏の指摘を改めて痛感しています。